言い訳と、少しだけLの話。
言い訳をさせてください。
長い長い言い訳になりますが。
私があの小瓶を流したのは、かっこつけて言うならば『音楽の存在意義って何?』と思ったから。
音楽は国境を越える、と言います。正確には、言葉を、だと思いますが。
同じ音楽を聴いて世界の人が感動する。すばらしいことです。泣く人も笑う人もいるでしょう。それはその人の感性に依るものでしょうね。
でも、です。
そんな音楽だって、音以外の要素がある。
これが私の持論です。
音楽を鑑賞するときには作者の生い立ちを知り時代背景を知り初演はどこで誰の指揮で……ということではありません。
なぜ、いい音楽ダナアで止めてしまうのか。なぜそのような人が多いのか。
作者が何を込めたのか、ちょっと調べればわかる現代であるのに。
ましてやこれほど元ネタが(汚い言い方ですみません)はっきりしているものを。
所詮は娯楽、一時の物だから? オレ/アタシのステータス、お飾り?
心を洗われるというわけでもなく、音楽を垂れ流している方たち、あなたがたはいま何を考えているのですか?
こうして私は小瓶を流しました。
疲れてきたので少し論理が飛んでいますが、自分の満足のために書いているのです。お許しください。
しかし意外な観点からお返事が返ってきたので驚きました。それから、あんなものへ返事が頂けたことに喜びました。
私はアメリカ人を、あるいはLを擁護するつもりもなければ日本人を貶すつもりも全くありません。
Lにはお返事の内容をそのまま伝えようと思います。
さて、ここからはLの発言にきっぱり『それは違う』と言えなかったことへの言い訳になります。
その前に一言。
あくまで私の考えです。そして、そんな日本人もいる、というだけです。日本人がどうのと知ったような顔ができるほど自惚れてはおりません。
くどいようですが、再び誤解を生まないように。
私は被爆三世です。
三世とまでなると名乗るべきかどうか迷うほど血は薄いと思うのですが、どこからかその情報は知られるのです。
そして、避けられるのです。
「やーい、被爆者、被爆者!」
私はヒロシマが覚えられていると喜ぶべきなのですか?
忘れられて置き去りにされるか、忘れられずに辱めを受けるか、二択しかなかったとしたら、どちらを選べばよいのでしょうか?
『被爆者』のレッテルは要りません。そのレッテルを掲げるのは、体験を語り継ぐ方だけで充分だと思います。
私はその後良い人たちに出会えました。『被爆三世』に「あっそ」と返せる人たち。「〇〇ちゃんのおばあちゃんに話を聞きにいってもいい?」と言える人たち。
『被爆三世』が『青いブラウスの子』とか『ショートヘアの子』くらいのくだらないレッテルだとみなされていて、自由を叫びまわりたいほどです。
血眼で異端者を作りだそうとする人はほとんどいないのでしょう。きっと。そう今では思えるようになってきています。
さて上手い結びが思いつきませんが。
世の中いろんな人がいるということは今回学ばせてもらいました。嘆いてたって未来は開ける。
音楽の意味についての小瓶が流れてきたらとっても勉強になるのですが……
この場所はとてもいい場所ですね。
長文失礼しました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
31869通目の投稿者
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
作曲家の吉松隆さんは「作曲家の指定が作品にとって常にベストの解釈とは限らない。時には演奏家の直感や聴衆の嗜好の方が作品を生かすことだってある。それは、音楽が『作られた』ものではなく内から『生まれ出た』ものであって、作った当人とは別の新しい存在だからにほかならない。」と言っておられます。
きっと、演奏する人達にはその人達だけの思い出が曲に付いているでしょうし、一人見ただけで全体を伺い知ることはできないと思います。
音楽は、問答無用さ、みたいなのがあると思います。悲しくなったり楽しくなったり、ボーダーレス性も含めて大勢の人を動かしてしまう力。
その派生として、音楽に意味をのせるという手法が出てきたのでは?
ななしさん
自分が経験したこと
自分の親兄弟が経験したこと
自分のおじいさんおばあさんが経験したこと
自分の曾爺さん曾婆さんが経験したこと
自分の江戸時代の先祖が経験したこと
自分の縄文時代の先祖が経験したこと
・
・
・
どこまでが「歴史」なんだろう
どこまでが「褪せない記憶」なんだろう
「歴史」を学ぶというのは、学校で学ぶと客観的になります。
学問として、客観的であるということはとても大切なことだと思います。
しかし、貴方の小瓶を読んで、具体的な生の声を聴くこと
誰かの主観でみた事実として、あるものごとを見直すことは
それはそれでほんとに大事なことなんだなと思います。
第二次世界大戦で亡くなった特攻隊の人に思いをはせ、
その痛みを考える機会はあっても、
長篠の戦で鉄砲玉に当たって死んだサムライの死を思うことは
たぶんないでしょうね。
なんでかな、と考えると、個人の記録がないからかな、と思います。
100人が死んだ、という記録よりも
一人の生きざまと死にざまを知る方が
命の重みを感じることができるというのは不思議ですね
誰かの想いを知ることというのは
やっぱり何か得るものがあるのだなぁと
しみじみ思います
7ml
ななしさん
前回、一通目を流した者です。
小瓶主さんが、当時の広島に住んでいた方の縁者の方と知らなかったとはいえ、不躾で無神経な物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした。
その、パンプキン爆弾のことを知ったとき、原爆に関連しているのだから、きちんと知っておくべきだと思って、調べたんです。
調べていてわかったのですが、私の住む地域は、パンプキン爆弾が落とされた市なんです。
碑も建っているのも知ってます。
(方向音痴が災いして、たどり着けなかったんですけど…。)
原子爆弾の雛型として作られて、火薬を詰めて、どれほどの威力なのか
どれほどの被害なのか
それらを試験的に見るために、実際に原子爆弾を落とす前に、候補地各地に落としたのが、パンプキン爆弾で。
私の、原爆に対する認識は、甘かったんだと思い知りました。
もっと恐いもので、もっと考えなくちゃいけないことで、もっと知っておくべきもので、もっと感じなくてはいけないもので、
全然足りない。
全然、足りてない。
そう思ったんです。
だから、小瓶主さんと、Lさんの言葉の真意も考えずに、お返事を送ってしまったんです。
小瓶主さん、傷つけてしまって、ごめんなさい。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項