落ちた、落ちた、椿が落ちた。
ようやくだ。ようやく、待ちわびた日がやって来たのだ。世の祝福の言葉たちは今日のためにあるのだ。ああ、ああ、なんて素晴らしい。
一度落ち着け。喜びというのは、噛み締めないとすぐに通り過ぎていってしまうものだ。椿との思い出を振り返ろう。そして、喜びに浸ろう。
椿を買ったのは半年前。みすぼらしい見た目をしていたが、それがまた良かった。
私は昔から、どうにも人を殺したいという欲求があった。いや、勘違いをしないでほしい。私は決して快楽のためなどという卑しい理由ではない。
人は、死ぬことで完成すると思うからだ。
完璧な人間はいない、というのはよく言われることだ。しかし、それは生きているからだ。人は変化する。それは退化であることがほとんどだ。
人は死ぬことで、ようやく一つの人格が形成されるのだ。その人の人生がすべて過去になることで、それは一つの物語になり、芸術となる。
私は、命をふんだんに使った芸術を、一つ完成させてみたかった。生き方、死に方、すべてを司り、完璧な物語を創り上げてみたかった。
私は、買った少女に『椿』と名付けた。
椿はみすぼらしい見た目の通り、みすぼらしい人生を送ってきたようだった。これは創作しがいがある、そう思い喜んだ。
椿とは、できる限りの信頼を築けるよう努力をした。一日三食飯を食わせ、風呂にも毎日入らせ、娯楽品も買い与えてやった。そして、私の言うことをすべて信じるようにした。
ある日、私は椿に言った。
「椿、お前は幸せになれない。私がどれだけのものを与えても、お前を幸せにはしてやれない。お前は奴隷の生まれだからだ。お前も、ここで暮らしていても、どこか不幸な気がしているだろう。だから死のう。死んだら幸せだ。死んだら、この世の物差しではかられることはない。お前を、肌の色や、生まれた家や、奴隷であることで差別する者は誰もいない。だから死のう。」
自分が奴隷の生まれであることに耐えられなくなり死ぬなんて、奴隷制が当たり前であるこの時代に最高のアンチテーゼだ。最高のシナリオだ。そう思った。
椿は頷いた。
私たちは庭へ出た。私はこの日のために、椿を庭に植えていた。椿をその前に座らせ、私は斧で首を切り落とした。
そうして、今に至るというわけだ。
ああ、ああ、私は何という芸術を生み出してしまったのだ。
庭には血が流れ、椿の首が落ちていた。
落ちた、落ちた、椿が落ちた。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです