批判と誹謗中傷は違うとはよく言われるけど、批判にも作法がある事はあまり言われない。
異なる考え方を尊重する事は、気分が良いものではないのかもしれないけど、それでも社会が上手くやっていくためには必要だと思うんだ。
私は典型的な勉強以外できない人間だけど、そんな私が勉強してきて良かったと思うこと。
それは、批判の作法を知る事ができたこと。
批判というのは、共同作業なんだ。
する側とされる側、両者の目的は同じで、理論や考え方をアップデートさせる事なんだ。
批判によって自分の考え方の弱点や穴に気がつく。そしてそれを補うために修整し、より強固な論を打ち立てる。
これの繰り返しが科学や思想を発展させてきたんだ。
だから、相手を追い詰めたいとか、悪を裁きたいとか、気に食わないとか、そんな理由で批判をしてはいけない。
それからもう一つ。批判はスマートでなければいけない。人格否定であってはいけない。
相手の理論の前提条件が違うのか、結論が違うのか、はたまた結論の導き方や論理性自体が違うのか。自分で説明できるほどの知識が必要だし、その上で相手に関する正しい情報を持っていなければいけない。
どうせアイツはこういう考えだろうとか、噂によるとこうらしいとか、憶測や曖昧な情報で批判をしてはいけない。正確な情報無き批判は、価値がないんだ。
これはアカデミックな世界の批判の作法だけど、現実世界にも応用できるんじゃないかと思うんだ。
考え方や掲げる思想は違っても、相手の論理や背景を知れば、喧嘩腰になる必要なんてないと思うんだ。
たとえ自分の受け入れられない思想であっても、攻撃的になる必要も、相手を罵る必要もない。
世の中正義と正義の対立なんて言うけど、そんな綺麗じゃない、もっとドロドロした感情があると思う。単に気に入らない、好きじゃない、受け入れたくない、そんな意地の張り合い。
無駄なプライドを正義という大義名分で正当化しては、対立を仕方ないという事にするんだ。
だから、攻撃も仕方ない、そう言って自分の残虐性に目を瞑るんだ。どうせ分かり合えないからってね。たちが悪いのは、異なる考え方を「愛国心がない」「被害者の気持ちが分からない」みたいな非難の仕方をしては、反対意見を言えなくする事。
ずるいなって思う。
そんなの、寂しいと思う。
何事にも突き詰めれば論理性があって、考え方にも認められる要素はあるのに。
何でこれを書いたかって、管理人さんの気持ちが少しだけわかった気がしたから。
攻撃的な言葉や、節操のない批判で溢れるSNSを見ちゃって、ああ、これが宛メが必要な理由なのかなって思ったんだ。
尊重。
難しいことだと思うよ。気に食わないやつを認めなきゃいけないんだから。
でも、一つの考え方に縛られない時代が来たんだ。誰もが自分の信じたい事を信じられる時代。
思いやりなんていらないよ。
優しさなんていらないよ。
言わなくていい事を言わないだけで、
ふと湧き上がる怒りをぶつけないだけで、
少しでも平穏が訪れる。
綺麗事万歳、私は小さな平穏をたった独り、貫いて行くよ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです