愛されたかった。
って言ったらみんなよってたかってあたしに向かって気持ちのよい説教を垂れてくるんで、そんなことすらおちおち呟けない。
愛されたかった。
それは別に、甘やかして欲しかったわけではない。
甘やかされて育ったとは思う。
でも本当のところ、それ自体はそんなに要らなかった。
親から愛されたいわけじゃない。
親には感謝してるけど、そういう生き物としてはもう見てないから。
じゃあ、誰から愛されたいのか。
そもそも「愛」とかいう湿っぽい単語は嫌いだ、それは私の実感とは異なるし、すぐに安っぽい説教を受けるから。
私はただ、頼もしくて信用できる人間に、しっかりと手を握られたかった。
それを実感したかった。
一回くらい、それだけでも。
一回くらい気を抜きたい。
ずっと、疲れてる。
誰も頼れないことがずっと苦痛だ。
ああ、分かった。私が説教に対してやたら敏感なのは、多分
「甘えるなお前は誰にも頼るな、これから先、ずっと、一生」
って、突きつけられてる気がするからなんだ。
このまま全ての人間関係で先回りしなくちゃいけないし、全ての共同作業で相手に過剰に何か求めちゃいけないし、期待しちゃいけない、誰かに助けを期待するなんてもってのほかで、一生、すべてを自分一人で抱え込んでろって
そう言いたいんだよねって、自分の中で理解してるからだ。
まあ、そうなのか。
私の期待は、最小限のものだと思ってるのは私だけで、これはすでに、過ぎた期待なのかもしれない。
どうなんだろう。
無駄に肩肘張って疲れる私が間違ってる?
でも実際、そうしなきゃ崩壊した環境を私はいくつも知っているし、というか、それしか知らなかったよ。
誰も悪くないけどさ。
誰も悪くないけどさ。
誰も悪くないけど、ただ、私にはたまたま安心できる、信頼できる場所も人もなかった。
そのことをもうきっぱり「諦めろ」って言われて、どうして諦められるっていうんだろう。
「きっと助けてくれる」って場所を精神的に持てなかったことについての感情を呟いただけで、どうしてそんなにあれこれいじくりまわされなくちゃいけないんだろう。
ああ、まあ、私の愛とかいう言葉の定義が世間とずれてたのはあるけど。
〇〇されたい
そういう受動的な願望は往々にして他者が自身のコンプレックスまみれの自我をヨシヨシするために踏みつけにされる
だったら、〇〇を手に入れたい、とでも言えばいいのか。
でもその手に入れるっていう行為自体に疲れてるんだよ、それが甘えてるって言いたいのはわかるけど。
100%の純度の何かを求めていっつも走り回って結果得られるのは80%の別の何か。
疲れたよ。
そりゃ、人と一生関わらなくてもいいよっていうならそんなもの必要ないけどさ。
そうもいかないじゃん。
人と一定以上関わったらどうしてもその辛さを思い出すじゃん。
疲れたよ。
一人で走り回るのに疲れてる。
一人で精神的な問題をなんとかしようとするのに疲れてる。
じゃあもう考えなきゃいいって?
考えるだけ無駄だって?
そうなのかもね。
けど、そんなの無理だ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください