人の目をあれこれ気にしてものを考えるのはやめたほうがいい。
それにはなんの意味もない。
それはただ恣意的にものを考えろということではなく、むしろその逆で
人の目を気にして恣意的に自分の思考を操ろうとしたところで、なんの意味もない。
なんの意味も、ない。
ないけど、やめらないね。
だって、私の四六時中考えてることは絶対に間違っているから。間違っているものを恣意的に正しいものの方へと操らなければ、私は社会に適応できないから。
私の考えの何が間違ってるのかは、一応その間違いを正しい方へと操れるくらいなのだから、なんとなくわかる気がする。
だから、他人にその分かってるところについての指摘はわざわざ受けたくない。
本当は全然受けてもいいんだけど、受けてから反論すると必ず「そう何度も反論するなら最初から何もいうな!!!!!」と怒られたり、面倒くさがられて会話は終いになるから。
だから最初から何も言わなかったりあるいは全部言おうとしたり、あるいは反論に過剰にクリティカルなものを求めて、攻撃的に、防衛的にならざるを得ない。
けど、だからって
最初のターンのうちにどんなに言葉を尽したところで人は必ずしも説明したことを分かってくれるわけでもないし
そして、説明を膨大にしていけばしていくほど、それを伝えられる時間の制限、会話という現実的な行為のタイムリミットは厳しくなっていく。
人は簡単に話に興味をなくすし、意識を別のものに変えようとする。
簡単に論点をすり替えて、どこか遠いところに去っていく。
じゃあどうするかって、私が聞き分けのいい人間として生きていくしかないだろ。
平均的なことを考えて平均的なことを言い、ちょっと逸脱したことを言った際には平均的な説教をされて、その反論もままならぬまま生きて、死んで、終わり。
必要以上に喋っちゃいけないし、反論しちゃいけない。サイコーだね。
喋る才能のない奴は黙るだけ。
繰り返すけど、別に、私の考えてることが正しいと思ってるわけじゃない。
ただその考えてること自体が、誰にも、自分にすらも触れられずに朽ちていく運命にあることが、とても悍ましいと思えるだけ。
私ってなんなんだろうか。
落ち着こう。
私だけが私の手綱を握れるんだということは、どれだけ嫌な気分に陥ったとしても、決して忘れてはいけない。
それを手放せばさらに面倒なことになる。さらに混沌として、茫漠として、狂気的なものに飲み込まれる。
けど、ああ、手放したい。
誰か手を取ってくれないかな。
無理なの分かってるけどさ。
手を繋いで欲しい。
こんな意味がわからない世界で。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください