メディアが都合よく切り取った事実で偏向報道をするとしたら、私の言葉の扱い方もそれに近いのだろう。
言葉は言葉でしかない。
現象学で言う相互主観性のような話をするが、例えば「りんご」という言葉について、赤い、甘い、アダムとイブ、のように、りんごという言葉から連想される言葉がある。
りんごという言葉がどこまでの意味を内包しているかは、それに関わる人間がどこまで想像するかによるものだ。
とすると、文脈はその範囲を決定するための補助ツールということになる。文脈という言葉が正しいかは分からないが。
例えば、「りんごは赤かった」と言えば、青リンゴという存在は排除される。
話を戻す。
私は日頃流れてくる音楽から言葉を拾って口にすることがあるが、そのとき文脈は全く考慮されない。拾った言葉がどのようなものかだけで判断をしている。
一種の偏向報道のようなものだ。本来の意図とは全く異なるような扱いをしていることもよくある。
言葉とは存外、脆いものだ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください