とんでもなく強烈な夢を見て目が覚めてしまった。あの居心地の悪い夢の続きを見たくなくて寝れない。
タイル張りの古い便所はなんとなく不潔だなあと個人的に思う。
それで、わたしはここに戻ってきた。
過去に出した文章を読み返して、自分はあの頃からなんにも変わってないんだなと落胆した。
変わったのは怠惰と自己嫌悪の大きさだけだった。
別に何か大きな問題に悩んでいるという訳でもない。
誰の被害者になった訳でもない。
わたしの中の漠然とした不安が、"死にたい"を伴って渦を巻いているだけなのだ。
長い上に非常に生産性のないどうしようもない文章なので、そういうのが苦手な人はここで読むのをやめることをおすすめする。
何がわたしを堕落させているのかを考える。
とりあえず自分には生きる気がない。
地位や名声を手にする、世のため人のためになる事をする、その為の成長とか自己実現だとかそういう欲求がない。
自分の寿命が18である事には薄々気が付いていた。多分ここから先は相当必死こいて生きるか潔く死ぬかしかねえなと、漠然と思ってはいた。
正直めっちゃ死にたい。
今すぐにでも窓を開けて、ベランダから飛んでしまえばいいとさえ思う。
じゃあなんで今死んでないのかというと、とあるアーティストの活動を最後まで見届けたいからである。
そのアーティスト(以下その人をAと呼ぶ。Aはイニシャルではない。誰かわかっても書かないで欲しい)との出会いは小学校5年生の頃だったのだが、わたしにとっては全身に雷が落ちる程の衝撃的な出会いだった。
それまで自分は内なる不満をどうにもできずにいちいち爆発させては号泣していたのだが、Aの音楽と出会ってからは落ち着くようになった。
そんな訳でAの曲に救われ、中学生になり酷い希死念慮に襲われながらもAの存在を糧に何とか生きながらえて高校生になった。
高校生になってすぐに、切望していたAのライブに初めて参加した。当時の状況は2023年5月の小瓶に書いてあるので読んでも読まなくてもどっちでもいいです。
ものすごく幸せな時間だった。
また参加する為に生きたいと思えた。
幸せすぎて、現実とのギャップに酷く動揺してしまったのがいけなかった。
わたしはAのライブしか自分の希死念慮を吹き飛ばしてくれないと悟り、この世に諦めの感情を抱いてしまった。
そして、わたしは一年に1日2日あるかないかくらいのイベントの為だけに、地獄のような希死念慮と戦う日々を送ることにほとほと疲れ果ててしまったのだ。
こんな生活があと4、50年は続くのかと思うと、なんだか途方もないなと。
Aが死ぬまでは死ねない。
それは希望でもあり呪いでもあった。
逆に言えばAが死ねば自分も心置きなく死ねると考えてしまった自分が本当に許せない。
どうしようもなく好きな人に執着して苦しみながらズルズルと生きている自分が馬鹿馬鹿しい。
最後に行った公演で、Aは「みんな生きててくれてありがとう」と言った。
生きててよかったと、思った。
割と新参者の自分から見ても、こんな楽しそうにしてるのは初めて見たなと思う程の表情をしていた。
その笑顔が眩しかった。
またあの顔が見れるまで耐えないといけないのか。
もう嫌や。
早く楽になりたい。
でもあの声を聴きたい。
こんな事になるなら、中学生のうちに死んでおけばよかったって何度も何度も何度も何度も考える。
だのに愚かしい、わたしはまたCDを買って抽選に応募し、当選したチケットを持って数ヶ月後のたった一日のうちの数時間の幸福の為に未だ死ねないでいる。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください