電車に揺られ、数時間が経過している。
座席に座るご老人を眺めて思うことは、彼は、この世界に存在した瞬間から、このような姿であり、不変の物体かのようであるということである。
彼には確かに幼少期から今までの長い期間をかけた変化が確かにあり、経験や学習を経て得た人格や行動指針があるだろう。それを過去と言い、未来に消費されるものだ。
なぜその存在を確信できるかというと、私自身がそうであり、彼も同じ人間としての生活を送っていると想像できるからだ。
しかし、私にはご老人は不変の存在に思えた。
察するに、他人の経験したものや時間など他人には必要がないのだ。
今存在している姿が全てであり、私が要する全てなのだ。
だからきっと、同じ人間として。誰も私の過去など不要だろう。私を視界に入れた人は皆、私を不変の存在に思えるだろう。
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