鬱病、双極性障害は数が多く、他の問題と併発が多い。難病と言われて、絶望し、鬱病発症はざらで、難病の指定があればカウンセリングや心療内科受診も促される(そうだ)。
かつて亡くした人の中に、そういう人がいた。
救えなかった、気づかなかったことが悔やまれる。
鬱病になると、怒らないと思われていることも驚く。気力がわかず、怒りは積もって爆発する。また感情が一気に噴出する感じなので、周囲は躁うつ病かと誤解する。
躁うつ病にはもっとわかりやすい特徴があるのだが、あまり知識がないと誤解に誤解を重ねていく。
感情が消えるわけではない、感情を出す気力がなかなか出ないだけである。
イライラするというのも鬱病にもありがちな現象だ。自分のことがわからなくなり、一時の気力の衰えから少しずつ回復する時に、どうなっているのか、周囲はどう見ているのか、わからなかったり、焦りもあってイライラする。
また回復期には躁転の軽いのを繰り返す。その部分だけ見て、躁うつ病とは言わない。
躁エピソードと言われるものがあって、躁うつ病と診断するのが通常である。上記のは躁エピソードにならない。鬱エピソードになる。素人が一部だけ見て病名言うのは、非常に危険な行為とも言える。患者本人も素人で、病名に振り回されるからだ。
統合失調症は昔は神がかりと言われ、神様の声を代弁していると言われ、奉られた。それと似ている。素人の誰かが言った病名が事実のように思え、そうなのだと本人も周りもそのつもりになってしまう。
鬱病にそんなに多くはないが少なくもなく、貧困妄想という妄想がある。妄想があれば統合失調症だという素人の誤解も多い。精神科医なら、それは基本で間違わない。
両方とも出くわしたので、違いがどこにあるかはわかるが、私も素人である。目の前にした時、知識がなければ惑わされるだろう。
病識の有無が大きな決め手と言えるだろうか。
統合失調症の人は病識がないだけでなく、例えば鬱病だとして病院に連れて行こうとしても頑なに拒むことが多い。
若いと、幾分病院へと誘導しやすい。
精神病に対する認識や、見守る人たちとの関係性も左右するために、全員がそうだと言えない。
鬱病の貧困妄想は、気づいてすぐに病院受診させ、服薬と休養させれば、一か月もしないうちに改善がみられる。
家族がまずおかしいと気づくものだが、おかしい、どうしてと言っている間に治療のタイミングを逃すことがある。
いくらおかしい、どうおかしいと言っていても、何も好転しない。勝手な憶測で病名付ける前に、それなりのところへ受診させるべきである。
一方で私の姉の例があるように、中途半端に病院に相談したために、後の支障が出ることもある。
私自身も体験している。先にもあるように、鬱病の人は怒らないという誤解。怒る怒らない以前に、顔を見たくないのが急性期にあるものだが、それすら鬱病とは思えないと言う人もいた。
鬱病を発症するまでは、我慢して相手につきあっていることも多いので、突然の拒否を食らって、急変したかのように感じるのかもしれない。
人との関係は、摩擦がつきものである。嫌いだから、という理由ではなく、しんどいから、なのだが。相手の方が被害妄想ではないかと他の場面で思うことがあった。
精神病罹患は鬱病ですら、特定の偏見はつきまとう。何かあった時になにもかもそのせいにさせられるリスクを負う。
この世で要領がいいのは、ばかなふりをすることだ、と言った人がいる。そして、かなりそれは的を射ている。
機転を利かして何かすると、その機転を評価されると同時に、その人にしてもらうのは当たり前にされる。
成績のいい人が、何かで怒れば、自分は頭がいいからって偉そうにするなと言われる。
現実はそんなものだ。だから、多少抜けてるふりで、わからなくて、できません、でも、教えてもらえば頑張ります、そう言ったほうが生きやすい。
鬱病やその他の精神病にもなりづらい。
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