人間は集団をつくり、生きるが…正直…国も警察も組織も、そういった物は本来人間には必要ではない。
というよりも… 個 を尊重することができなくなる
その癖、他者の異なる思想や暴力性などを容認する度量もなく、偽りの平等や平和を口にするが、実際には競争で生き残らなければならず、人間は本当の意味での平和も共存も平等も望んではいない。
…本当に皆がそう願っていれば…この戦争はとうに終わっているはずだ。
子を作れ、社会の役に立て…働いて税金を納めよ、このようなことも、、国などがなければ産まれようがないことなのである。
集団でないと生きられない!などというのは…詭弁だ。それこそ、誰かを奴隷にしないと生きられない奴らの言葉である。
孤独になる?…貧乏な奴が周りも貧乏なので貧乏であることに気が付かないのと同じで…最初から独りであるならば、孤独であることにさえ気が付かないさ。
どちらにせよ…国などという形骸的な概念も必要がない
人間 ではなく 人 として 個 できられるようになることこそが…自然と共存しそして”生物”としての矜持を抱け、煩わしさから解放される唯一である。
ゆえに… 組織も国も警察も福祉も会社も学校も…その他 集団 など必要ない
これこそが…不幸の源だからだ。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
定春
志士などという立派なものではありませんが…
社会や集団は絶対に必要だ、というのは…お金がないと生きられない…そのようにした、してしまった…ありていに言えばハメられた感が昔からものすごくしていまして。
生物は木の股から産まれるわけではないので、人間も同じく、最初から独りというのはあり得ないのですが…それでも、その小さなコミュニティ程度で良いような気がするんですよね。
大きな組織や国のようなでかいコミニティって…必要なのか?そして管理できるのか?などを考えると、とてもではないですが…便利さを維持する為に、自由が失わられるという、本末転倒なことにもなっていますし…
今のこの現状って…そもそも最初から間違えていたから、こんなことになっているのではないか?とすら思えてくるわけなのですよ
ななしさん
なんかそうかもしれませんね。どこまで理解できたかは分かりませんが。伊藤博文の小説を最近読んでいる為か、こういう政治思想みたいなものって感化させられます。
確かに集団ではなく、【個】を大事にしろって考えは響きます。昔は農民、上仕など身分の違いがあったそうですよね。位の高い連中には逆らえなかった。
現在でも、従業員、班長の組織図がありますものね。なんかそうやって考えると本当の所嫌になります。
学校は社会の縮図。その思いは年々強くなります。現に自分は立場も人間性も低かったので、そのせいか結局ずっと社会から疎遠になってます。
しかし、そうなるとどうなるか。【お金】です。個に生きようとしても、このお金がなければサービスは受けられない。だから集団に頭下げて紛れて行くしかない。そのように思います。
個である為に、誰かに仕えるなんてしたくないですけどね。これがプライドなんでしょうか。伊藤博文が幼少の時父から言われた言葉があるそうです。
「人間が出世するかしないかは、出会った人間次第だ」
まさにその通りだと思います。今は競争社会はひどく嫌われてると思います。しかし、昔はその逆ですね。競争する事が良しと考えられていたそうな。
それが集団ではなく、個を大事にする事になるんだと思います。僕は競争は差別を生むと考えていたので、また考えが変わりそうです。
梅田雲浜、吉田松陰、そして...定春殿。まさに令和の幕末志士ですね。
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