本当に少数派なんだろうなと思うのだ。
ASD傾向にあるからなのか。変なこだわりがあるようなないような……
知識的にそんなものが存在しない人の世界ではまるで関係のない話だけれど。
風邪のない世界で風邪で苦しいことを訴えてもしょうがないからなあ。
障害による生きづらさが認められない世界で、障害による生きづらさを主張することの儚さとは……
生きづらいなら個人的に頑張れと。ただまあそういう話なのか、なんて。
ぼくの生きてる世界はわりと、認められてしまっている気がするが。ぼくが、はたして認められてもいいのか謎。
若干、状況に胡座かいてる節があるかもしれない。でも自分なりにできることをしている部分もある。
なおもずっと苦しいのは、改善の努力を怠っているせいか?改善するのに誰かの協力が必要であるのに、誰かに頼る努力を怠っているせいか?
なんなのだろうか。
私は今日も、死にたいわたしを無視してのうのうと過ごすのね。
誰も何も、自分すら、心の奥底に眠るわたしに手を差し伸べないのね。
まあなぜならわたしが分厚いバリアを張って、手が届かないようにしてるから?
最期は骨になる。
二度見た……はず……二度?
あれ?
二度目の記憶より、一度目の記憶のほうがあるなあ。
……あれ?
本当にどうしてか。
二度目のお葬式の記憶がないのはどういうことか。たぶんあれだな、そのあと忙しかったからだ。流れ的に、後の出来事のほうが優先されてしまった、上書きされてしまったのだ。
しょうがない。記憶なんてそんなものだ。べつに必要ではない。
数ヶ月前の通院で、前述したASD傾向に加えて複雑性PTSDも多少あるかもしれないことを言われてから、なんとなく気にしてる。すこし驚いたのだ。発達特性があるのは可能性として考えてたけど、複雑性PTSDは考えてなかったというか自分に当てはまるものとして除外してたから。だってなんていうかもっと、つらい過去がある人のものなのかなってイメージだったから。
でも複雑性PTSDだとそのかぎりではないのだなぁと。あらためてすこし、考えるきっかけになったような感じです。
ところで、だからなんだという、話だけど。
そんなものを言い訳に、だから生きづらいので死にます!というわけではないので。だから、仮に、もしそうだったとして、それで結局どうしますかって話。
ぶっちゃけまだよくわかってないや。
二次障害的なものっぽいけど……
ほんとうに非常にゆっくりしてます。
亀さんより遅い、とっても鈍間な歩みです。人によってはもどかしくて、ついていけないでしょう。だいたいの人間が素通りしていくのね。
よいですよいです。お先にどうぞ。
ぼくはここで、まったりのんびりして、羨ましながらも歩みを止められないものの背中でも見送ろう。あ、死にに行こうとする人はできれば止めたいですが。やだー。自殺や自死ってなんか悲しいんだもーん。駄々をこねたい。責任の伴わない自分勝手な発言でありたい。相手になんて、されないような。
問題解決のために自死を結論出して行動をおこす……そしてもう二度と、問題解決のためにその脳を使えない。残念に思います。ぼくは、ぼくの脳が好きなので。こんなに言葉を紡げる、思考できる脳が、好きなので。今こうして、好きだと思えているのも、これがあるおかげなら、これを失うのはなんだか惜しい。
そんなの関係なく、死んでしまいたくもあるが。
どうでもいいのもわかる。
現在の苦しみから解放されるなら……と思う。そのあと地獄にいくとしても、“今”は変化する。変化のさせ方が過激かもしれない。
ところで、また喋りすぎている。
自身のワールドに入りすぎでは?
いつものことだから気にしなくてもいいけど、こうして気にするまでもがテンプレートって感じ。
今日もありがとう。
生きたくても生きたくなくても、この瞬間この文字を見ているということは貴方は生きているということで。それが貴方にとって嬉しいのか悲しいのか複雑なのか知らないけれど、来てくれてありがとう。読んでくれてありがとう。
じゃあさようなら
次回があるか互いにわからないけれど
またね
死ぬ前に、ちょっとでもいいことがたくさんありますよーに
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