中2の時、酷く死にたくなり、前も向けず、下を向き、後ろばかり向き、とても灰色の人生だった気がする。
そんな時に、友人にこのサイトを教えて貰い、相談でもしたらどうかと言われたので
サイトを覗いて見ました。
サイトを覗いてみれば、老若男女関係なく悩みを持った人達で溢れかえっていました。そんな場所に自分は身を投じ、当時の自分は皆苦しんでいるなら、自分もここに少しは悩みを打ち明けてもいいんじゃないかと思いました。
時間は過ぎ、7通程、自分の悩みを小瓶に詰め、送りました。
ただ、高一になるにあたって、こんな事でいいのかと下を向いてばかり、後ろばかり見て後悔ばかりしていていいのかと思い、一通の小瓶を送った後、前を向くよう挑戦し、幾つかは前を向いたことで少しは楽しく過ごせました。(多くの返信を貰えた事も力の支えになりました)
前を向き、部活では弓道部で部長になり、クラスでは多くの友人に育まれ、案外楽しい生活を送れていたのかもしれません。
じゃあなぜ?
なんで自分はここに戻ってきたのか
耐えきれなかった
大きな変化と人間関係に
自分はそれほどメンタルが強くない
だけどそれを理由にその場から逃げるのは間違っている、何故ならそれは昔の自分と同じになってしまうから
変わらないと、そう思い続け、高3の今まで耐え続けてきました
弓道部、確かに部長になり、自分の部活として人生の挑戦として、成功したと思う
ただ、見た目だけ、それだけ
コーチ、顧問、同い年の部員、後輩、色んな人の中間に位置し、揉みくちゃにされました
特に辛かったのは、就任してから、約2ヶ月後、受験に努める為、先輩達が完全に卒部した時、後輩の挨拶の無さや同期の出席率の低下、自分達の指導不足により、全体停部命令が下されました。
約2ヶ月も……
自分にとってはほんとに地獄でした
部活の無い日でも夏休みの中遠い学校まで電車で片道1時間揺られ、着いてからは最終下校まで残り話し合い、最後の方にはもうなぜ怒られているのか分からなくなりました
自分が悪かったところもあるんだと思います
そう思いたい……思わずにはやっていられませんでした
部員は謝るのは、部長だからとどこか上の空、副部長も総務も、誰も助けてくれない
手伝ってくれやしない
少しは停部解除の為に動こうと言って声を荒らげてしまったことがあった。
そうなった時、今でも忘れられない
「なんでそんなに怒ってるの?私達悪くなくない?」
ごめんと平謝りするしかなかった
反論すらできなかった
すればよかった
ただ出来なかった
その時、好きだった子が同じ部活に居て、とても仲良くなっていい感じになっていました
ただ、その子も皆と同じく、他責思考のような自ら動くようなことはせず、誰かのせいにし、思考停止し、皆と同調し、挙句の果てには僕が注意をしたら僕のことを嫌いもしくは苦手のような感じで話す事が無くなりました
別に僕は嫌いではありませんでした
そうしないと部の改善にはならないと思ったからです
ただ、部活への考え方や熱意がおそらく違ったのでしょう
こうしたズレがさらに同期との仲をより悪くさせ、高三の頃にはメンタルがもうボロボロでした
ただ、あちらは、あまり停部だった事は気にしていないのか割り切っているのか、部活での成績は停部前と変わらず、なんなら成績をのばし、関東大会に久しぶりに出場するメンバーが現れたり、同期のみんなが初段か2段をとって卒部しました
それに比べ、自分はずっと頑張ってしっかり毎日部活へ行って(当たり前だと思いますが)、練習に努め、まずは初段をとずっと頑張っていました。
ただ、停部解除後、調子は戻らず、弓はしっかり引けず、もう全くもって当たらなくなり、大会では白中ばかり、審査は1級のまま卒部に至りました。
この時、もう既に後輩の中では、初段を取り始めてるメンバーもいました。
なんなら、1回目で取る人もいて、自分が育てたといえば、聞こえはいいですが、3年間頑張った結果がこれというのは余りにも個人的に虚しく、胸が苦しくなりました
弓道の話だけでこんな量になってしまいました
小説読み切り1本かけそうな勢いですが、やめておきます
時間が空いた今、受験まっしぐらな状況で一人でいる事が多くなった今、昔の事、嫌だった事を多く思い出し、とても辛くなったのでここで吐き出しに来てしまいました
とても殴り書きのような感じだったので、大分酷い文章だと思いますが、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます
出来れば返事をくれると本当に嬉しいです
これを読んでくれた優しいあなたに
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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