俺にも誰かを救いたいって気持ちはあるのにな。
でも他人の行動を見てると薄っぺらい綺麗事を並べてるだけじゃないかと見えてしまう。
『辛い人はこれを見たら救われる』
そんな言葉にわずかに期待して
結局はただの綺麗事、精神論、絵空事、願望だったりする。
それで救われる人がいること自体は否定しない。
結果的にそれで救われるのなら良いことだ。
数多の『これを見たら救われる』で救われずに漏れてしまった人達の嘆きは続いたまま。
俺はそんな人を救いたいが救う手段がないことを悔やむ。
救えないのか、救える手段が見つかっていないのかどっちだろうか。
もしも俺が救われたならその手段を同じ境遇の人へ共有しよう。
そしてそれもまた別の誰かに綺麗事と言われてしまうんだろう。
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ななしさん
僕が主さんを見た時、主さんは誰よりも完璧でありたい。そんな気持ちを強く感じます。
だから、他人に救われると自分がその人より劣って感じるから、プライド的に嫌気するのかも知れません。常に助ける側でありたいから。
本屋に行ったら、結構救いを授けるような本沢山ありますね。一生お金に困らない、貧困から脱出、彼女の作り方とかね。ほとんど読んだ事ありますが、それで成功者になった人は聞いた事ないですけどね。
ただ、本に書いてるのはやっぱ今の考え方をガラッと変えたり、後は行動する。それしか書いてないように思います。やっぱ中々できるものじゃない。雲をつかむ見たいな本は多いですね。
でも完璧に真似たら、本当にそうなるのかもですけどね。でも、誰も何故やらないんでしょうね。自分の価値観が全て正しい。その部分は強いと思います。
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