愚かな自分を捨てたい。
なぜ苦しいと分かっていて、人を好きになったんだろう。
自分は奔放に生きれない。
苦しむと分かっていて、どうして好きになってしまったのだろう。
もっとその人と話したかった。もっと一緒にいたかったと愚かに願っている自分が哀れで泣きたい。
機械のように淡々と生きれたら良かった。
または壊れても、尖って、愛を求めて生きれれば良かった。
私はそんな人間では無いのです。
気持ちに気づかれて無くて良かったと思う反面、少しでも側にいたかったと寂しく思う気持ちに呆れるのです。
恋などしなければ良かったと思う反面。
恋をしているから毎日幸せを感じれるのだと苦しくなる。
いっそのこと、今いる環境を手放してしまえば楽になるので無いかと思う。
だけど、私にはそこまで飛び出す、覚悟も何もないのです。
今日も寝て、明日目覚めれば、また月曜会えることを願うようになっているのでしょう。
敬愛や尊敬ではないのでしょう。
もっと会いたい、側にいたいと願うのは、恋なのでしょう。
本当は幸せなのです。きっと。
世の中にもっと苦しい片思いはたくさんある。
全く接点がない人を好きになることがある。
嫌われていると知っていて誰かを好きになることもあるでしょう。
私は少なくとも後輩としては可愛がって貰っているのです。
何かあれば遠慮なく相談ができるのです。
後輩として、支え、守るべき対象として認識はされているのです。
振り返れば人生何度もあった片思い。これほど長く誰かを好きになり、それでもその人の側にいた人はいないのです。
私は幸せなのかもしれません。
でも満たされないのです。
満たされることを望んではいけないのは理解しつつ、でも溢れてしまうものが止められないのです。
どうしてこの人なのでしょうか。
どうしてこのタイミングなのでしょうか。
いつか笑って思い出せるのでしょうか。
書ききって、疲れて、寝てしまいたいのです。
本当は幸せなはずなのです。
仕事で話をし、月曜に約束もしている。少しだけ同じ営業車に同乗もしました。短いながら二人の時間があったのです。その間、話もできました。
でも当たり前ですが、私が願うほどではないのです。もっともっと話がしたかったのです。
それは私だけが望んでいるから、相手は何も思っていないのですから。
誰かが、その人への思いは推し活だと割り切ってしまえと言いました。
そこまで笑って言えたら言い。
愚かにも触れたいのです。もっと側にいて、もっと話がしたいのです。もっと一緒に笑いたいのです。
もうこの思いを抱えているのが限界なのでしょうか。
今は楽しかった思い出より、辛い気持ちが拭えないのです。
明日は少しでも幸せな気持ちで起きれますように。そう願っています。
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