いざ、言葉に、文章にしてみようとすると、まとまらないものだ。
でも。
きっと今が、わたしの40年足らずの人生のなかで、一番底に沈んでいるんだろうなと思うから。
残させてほしい。
最初に言っておく。
とても、不愉快に感じるかもしれない。
反省なのか後悔なのか、はたまた別の感情なのか、自分でもよく分からないままに書いてしまったからだ。
でも、どうか残させてほしい。現実に向き合うために。
誰にも言えないこと。多重債務。きっと悩んでいる人は数えきれないくらいいるのだろう。
でも、まさか自分がそうなるとは思わなかった。今でも現実感は全くない。いや、認めたくないだけか。
奨学金から始まり、エステのローン、車のローン、クレジットカード、銀行カードローン、消費者金融。
銀行カードローンに手を出し始めてからが早かった。
毎月のクレジットカードの請求が増え、給与だけでは全く足りないから、カードローンで補填するのが普通になっていた。
本来ならば行けるはずのない旅行だって借金を繰り返して何度も行った。
借金を借金と思わない。よく言われるけど、まさにその通りだった。
給与と同額のクレジットカード請求が毎月届くなんて、異常でしかないのに。
それも2社だから、給料の倍の請求が来ることも。
そして今、手元にあるのは奨学金の残金と、銀行カードローンや総量規制ギリギリまで借りた消費者金融の借金と、クレジットカード含め多数の督促状。
遅延しながらギリギリ支払ってはいるけれど、そろそろ難しくなってきた。
車検もあるし、保険の一括支払い日も夏前に来る。
ああ、何してるんだろう。
自分を掘り下げてみる。
昔から、自分に自信が無かった。
一重で、低い鼻で、がっしりした体格で毛深く、挙句の果てにワキガときた。
小さいころ、父親から、目じりを引っ張るようなからかいを受けたことをよく覚えている。
「吊り目ポーズ」で話題となった、あの仕草。
両親はぱっちり二重なのに、わたしは一重。兄弟は二重。女の子なのに残念だったね、と。
ワキガをもらったのはわたしだけ。
母親から、まわりに迷惑になるから、医薬部外品と書いてある制汗剤を必ず使いなさいと言われた思春期のあの日。
あんた、たまに臭うよ、と。母親から遺伝したものだった。これまた、女の子なのに残念だったね、と。
もともと、人に強く出られない質で、事なかれ主義だ。
争いをするのもされるのも巻き込まれるのも絶対に嫌。
そして、自分の価値が下がることが只々恐怖だった。
中年に差し掛かった今になって、ようやく理解できた。あの感情は、恐怖だった。
残念と言われるだけで済まず、嘲笑に代わることが、とにかく恐怖だったのだ。
小学生のとき。当時は給食お残し許しまへんで時代だったので、食べられなくて何度もクラス全員の前で泣いた。
隠して残したことを告げ口されて、呼び出されて泣いた。(大人になってから聞いたが、親も呼ばれたらしい)
全員に見られて、わたしに人権は無くなったと本気で思った。5年生の7月。今でも鮮明に覚えている。
最終的に、会食恐怖症になった。これは今でも引きずっている。緊張した会食の場は、喉が締まってえずくのだ。胃腸は何ともないのに。
中学生では陽キャと知り合いになるために運動部に入り(においとユニフォームの黄ばみ対策が本当に大変だった)、スクールカースト真ん中位を目指した。田舎の学校だから、人数が少ない分成績は絶対上位に。一重なのはどうしようもなかったから、出来る限り見た目に気を使い、おしゃれに興味ある体にして。スクールカースト上位の人たちともそこそこ会話できるけど、でも絶対に目立たない、そんな位置。空気を読むスキルはここで培ったといっても過言ではない。毎日とにかく疲れていた。思春期の感情の揺れもあって、すごく疲れていた。しかし、人生において己に最も自信があったのは、この時期ではないだろうか。
高校に入ったらアイプチと化粧を覚えた。初めて、可愛いと言ってもらえた。生まれて初めて街中でナンパされた。
進学校なだけあって、背伸びして入ったわたしは勉強についていけなくなった。毎日、先生に当てられませんようにと祈り、終わらない課題に泣き、予習前提の授業なのに予習まで手が届かず。成績は下から数えて10番目。一気に自己肯定感が下がった。
浪人して、大学に入った。国家資格を目指せる学部。うまくいけば人生困ることなく過ごせるはずと思って。高尚な考えなぞこれっぽっちも無かった。打算ゆえのモチベーションの無さ、そして落ちぶれた高校生活で勉強の仕方が全く分からなくなってしまった。集中が異常なほどにできなかった。日々勉強なんぞするはずもなく、遊ぶだけ。授業は寝る時間。試験は再試験・再々試験があたりまえで、そこまでいかないとそもそもテスト勉強しなかった。結果、国家資格を取るのが他人よりも遅れた。浪人から数えると、本来よりも2年社会人スタートが遅れた。親の稼ぎを湯水のごとく使って。自分が悪いけど、また自己肯定感が下がった。
SNSを始めた。当時はSNS黎明期。赤の他人に褒められることにハマってしまい、そのまま越えてはいけない関係にまで。せっかく付き合ってくれた彼氏がいたのに。振られた。当然だった。
社会人になった。やっと周りに追いついたと思った。
自分で本格的にお金を稼ぐようになって、自由が増えたから、これまで以上に外見にお金をかけた。高校時代の、あの1度だけのナンパが忘れられなくて。化粧品、服飾。エステに二重整形まで。外見をきれいにすると、みんなが褒めてくれた。身内も、友人も、SNSで知り合った赤の他人も。上辺だけの台詞だろうけど、とにかく嬉しかった。やっと、やっと認められた気がした。みんなと肩を並べたと思った。
貯金なんて最初から無理だった。あれば使い切った。
相変わらず、集中はできなかった。
会議の間に雑音があると、会議の内容が全く頭に入らなかった。
電話対応がとても苦手だった。周りに音があると、相手の話が理解できないから。
人と接する仕事なのに、出来る限り人を避けたかった。感情を揺らされたくないし、ぶつけられたくないから。
毎日他人に気を遣うのが疲れるから、何がつらいというわけでもないのに、仕事を休んでしまう。そして転職した。転職先でも同じだった。
彼氏ができず、周りがどんどん結婚していく中、自分は取り残されていった。
他の人ができるのに、自分はできない。また自己肯定感が下がった。
お金を外見に使った。また見た目が良くなった気がする。これで一般人だ。
旅行?行く行く!だってお洒落な格好をして旅行している自分なんて、最高の一般人じゃないか。
気づいたら、これを繰り返して10年経った。
そうか、わたしは自己を保つためにお金を使っているのか。
未来のために貯蓄なんて、自己を保つために生きるわたしには無理な話で。
結婚?婚活?誰がアラフォー多重債務者と結婚しようと思うのか。
世の中、身内の借金に巻き込まれて苦しんでいる人々がいるというのに、さすがに自分が原因になろうとは思わない。それくらいの倫理観はまだ手放していない。
あんなに両親がお金を使ってくれたのに。
借金は絶対にするなと言っていたのに。
なんとかなると思って楽観的に生きてきた。
そろそろ何ともならなくなってきた。
700万円の借金だ。
事業の失敗でも何でもない、只々自分で浪費しただけの結果で。
今日も型落ちのノートパソコンと、集めたグッズを売ってきた。
10,000円もしなかった。
もう高価買取になるようなものを持っていない。
相変わらず制汗剤は年中手放せなくて、ついに脇の部分が皮膚炎を繰り返し始めた。
制汗剤と、汗脇パットと、ステロイド入りの塗り薬と。
無駄に買って、そして手放したあのコスメやお洋服たちの合計金額で、ワキガの手術以上の金額になるんだけどな。医療脱毛だってできるくらい。
これからどう動かなければならないか、よく分かっている。
返済するにしても、きっと自分だけではどうにもできないレベルにきているということも。
死ぬ気はない。そもそも死んだところで借金は親に相続されるだけだ。
こんな相続、誰がほしいと思うのか。自分の都合で死んで借金を置いていくなんて、無責任の極み。この倫理観も、まだ持っていたい。
ただ、他人と同じように生きたかった。
ただ、認められたかった。褒めてほしかった。
わたしが考える「一般人」になりたかった。
そして浅はかだった。
これが、わたしの人生。
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