何気ない言葉で人を救える人って何とも言えない凄さを秘めている気がする。
当の本人は救った自覚すらありませんから。
後から「あなたの言葉に救われた、ありがとう」とか言われて
「それなら良かった」とほほ笑む。
日々の努力やお金で手に入れられるものはあるけれども
そういった人間はどうやって生まれてくるのだろうか?
私はどうだろうか、
触れづらい話題を前に救いを求めてきた相手に言葉をかけられるか?
まあ結局のところ言葉を受け取る側が救われたと感じるかどうかが答えになってしまうのだろうけれども、
私が言いたいのはそこじゃなくて言葉にならない思いもゆっくりすくい上げる、
拾える人が何気ない言葉(ここでいう本人が相手を慰めようと意図してない場合)で
人を救える人について言及している。
先日 匿名で流した小瓶のお返事、嬉しかった
ああ 貴方にはそう映るのね、素敵な映り方ねと思った
とても触れづらい内容だったのに。
今 心が軽いのよ
どこの誰か知りませんが、知らない人から貰う温かみは知る人間とはまた違う
心地よさがある。
もう最近はなんとなく、人間の質みたいなもんが落ちている気がしていて
極論な討論も、極端な思考もSNSを通して綺麗にねじ曲がりながら若者の頭に吸収されているように見えるんです。
(私もその若者サイドなんだけどね!!☆)
同年代と話しててそう感じる節がよくあるものだから凄く違和感だった。
その違和感を言葉にしたいが言葉も経験も知識も足りないみたいで上手くカタチにならない。
大したことないことで簡単に炎上する世の中、
誤情報を鵜吞みにして攻撃されて無関係な人が死ぬこともある。
なんとなく、まずいなと思っているのは私だけじゃないだろうなと思う
SNSがない頃からこういったことは恐らく存在してたんだろうけど規模が今は違うんだろうな
そんな暗い中、あなたの言葉に救われた
逃げるように走りこんできたこの場所で静かに拾ってくれた。
私もそうなりたいと、どのくらい深く感じたか、
知る由もないのでしょう。
次は私がその立場になります。
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