新学期が始まって3週目になった
今日は児童たちの間で軽い喧嘩があった
きっかけは些細なことだった
お互い相手が傷つくことを言っていた
私はもちろん止めた
その際に私は、自分がされて嫌がることをしたらダメです。相手のことを大切にしましょう。
もちろん自分自身のことも傷つけたり蔑ろにしちゃダメですと伝えた
私はこの言葉を伝えたあと後悔した
私は何を言っているの?
自分自身を大切に?
私が私を大事にしてないのに?
ODやリスカ、レグカとか首吊りしてるのに?
そんな私がなぜあんなことを言えるの?
やばい今日も心が沈んでしまう
私が伝えたことは間違ってはいない
けど、私が言うべきことではなかったと思う
先生である私が児童たちの手本にならないとなのにそれが出来てない
もっとちゃんと考えて行動しないとダメなんだ
先生って大変だ
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毎日お疲れ様です
面倒だからって、思ってもないようなマニュアルどおりの言葉で切りつけてくる人は沢山います
そんな中で、先生のように言葉一つ一つの重さを考えて伝えてくださるのって、私が生徒なら嬉しいです
適当じゃなくて、ちゃんと私のことを考えて話してくれていたと分かるから
先生が今のご自身を大切に思えなくとも、そんな先生を好いている生徒さん、沢山いるんじゃないでしょうか
無責任かもしれませんが、先生にはそのまま優しくいて欲しいと思ってしまいました
先生だって人間なんですから、悩むのも息抜きが必要なのも当然です
歩調を緩める日は誰にだってあります
先生といえども、悩み、葛藤するものだと思います。これで合っているのか?自分自身が教えている通りに生きれているのか?と。心理的側面として、人は、自己一貫性を保ちたいというものがあります。言っていることとやっていることは一貫させたいと思うものであるらしい。
確かに手本になるというのは大切かもしれませんが、では、例えば部活の顧問はどうでしょうか?その分野について詳しくはない人でも、めちゃくちゃ詳しい人でも、ほんとうにお手本のようなプレーができるかというと話が別です。様々な経験から学んだ理想を教えるのと、自分が実践できるのとでは話がちがう。でも教え方や心の持ちように関して様々な知見があるから部員を導くことができるんです。
では先生はどうでしょうか。教えている通りに自分が生きれていないと感じるから正しくないなんて、そんなことは絶対にありません。むしろ、先生のように、たくさん悩み、考え葛藤しているからこそ教え導けることってあると思うんです。自分自身を大切にしなさい、と、自分自身をついて悩み考えたからこそ教えられる意味だとも思います。そもそも、人間だれしも正しくあるとは限らない。自分だってそうです。だからこそ、正しくあろうとする意思が大切なんだって、そう思います。それが先生ってやつなんじゃないかなって思います。実は自分でもめちゃくちゃ悩んでいるのに、生徒の前では平然としていなければならないと思ってしまう。でもそれって、めっっちゃくちゃ格好いいと思います。
ななしさん
お疲れ様
頑張ってるんだね
これからは子供達と同じように、自分自身もその言葉通りに生きるようにすればいいと思うよ
過去は過去
子どもたちにもあなたにも沢山の未来がある
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