先日、「訃報」が届きました。
身近には見慣れない単語で。
意味を知らない筈はないのだけれど、内容と結びつかなくて。
明後日(これを書いている、明後日)、告別式です。
…親族以外の告別式になんて出たことがなくて。
遺族側、じゃない告別式…
しかも、そんな、訃報だなんて、そんな言葉があまりにも似合わない人で。
元気とか明るいとか、それだけじゃないけど、そういう風に振舞える人だった。
入院していたけれど、難しい病気だったけれど、でも、全快するって信じてた。
だからまだそんな筈ない、って思えてしまう。
なのに、喪服とか時間とか、そういう実際的な心配をしている自分が、すごく冷たい人間な気がする。
遠くたってお見舞いに行けばよかった、もっと何度でも行けばよかった。
…もう会えない?
…そんな筈、ない、よ、ね?
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私も同棲してた彼氏が死にました。急死しました。朝行ってらっしゃいと見送ったのが最後でした。もっと優しくしたら良かったと後悔ばかりです。なぜ死んだのが彼で私ではないのかと思ってしまいます。とてもさみしいし悲しいです。
ななしさん
人の命は脆いものだし、あまりにも儚い…
明日、確実に生きている保証は誰にもない。
今生きていることは奇跡にも等しいと思う。
だからこそ、一日一日を悔いのないように過ごしましょう。
御冥福をお祈り致します。
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