私は一匹のおたまじゃくしを見ました。夏の暑さも和らぐ頃です。未だ蛙になれていないおたまじゃくしに私は惹かれ、この小さな池を「明日も見に行こう」と心に決めたのです。
次の日、おたまじゃくしには脚と手が生えていました。通常ならば五日ほどで手脚が生えるものです。一日で急に生えてくることなんてありません。そんなおたまじゃくし、常識的 に考えているはずがないのですが、私には同じおたまじゃくしだという確信がありました。
次の日には、新緑を纏う小さな蛙に、その次の日には深緑の大きな蛙に姿を変えていました。そんな不気味な蛙の成長を確認するのが私の夏休みの楽しみとなっていたのです。
私が蛙を見つけてから五日後、その日はすぐに見つけることができませんでした。というのもそ の日の蛙は小さな池の中でも見ずらい草陰にいたのです。ぷかり。と。蛙は漂っていました。そんな、動かない蛙の変わりに腹の中の卵が少し動きました。
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mzkさんへ
素敵な感想をありがとうございます。
mzkさんの書くお話、大好きなので、mzkさんに考察をいただけたことが嬉しかったです。自分にはなかった考えもあって、見ていてとても面白かったです。
また、書けたときにはお話を流したいですね。普段はもっと長い文章で小説のようなお話を書くのでそんな文章も流せたらと思っています。
お返事ありがとうございました。
400字詰めの「ない」夏休みの思い出を見て書き始めました。
凄く綺麗な文章とは言えないですが、自分なりに考えながら書いたので誰かに見てほしく、流しました。
普段書く終わりのない文章でも400文字は確実に超えるので、400字におさめて書くのは新鮮で楽しかったです。
一度事実を表すだけの文章を書いてから、言葉を考えていくと、文章のまとまりも言葉のまとまりも丁寧にできるので良かったです。
もし、感想等あればお返事を流していただけると嬉しいです。喜びますし、文を書くときの参考させていただきます。
素敵なお話ですね。こういう物語大好物です。
ザクロさんの書く物語を、いつかは見たいと思っていたので、見ることができてとても嬉しいです。
短編でありながら、どこか深さが見え隠れする。水中に起こる光の屈折のようです。
これは、蛙が蛙のような“なにか”なのか。それとも“私”の時の流れがおかしいのか。
どちらとも取れるな、と思いました。
多年とは、その名の通り長い年月を指します。多年蛙はきっと、長い年月をかけて蛙になると言う意味だと思うのです。
ですので、僕は“私”の時間がおかしいのではないかと思いました。
蛙の寿命は、種類によって異なりますが、アマガエルでも5〜7年だと言います。
最初は1日が5日間ほど、それからもっと時の流れが遅くなって、“私”にとっての5日が5年間になってしまった。
僕はそう感じました。
夏休みと表記されている点から、これは夏休みが過ぎるのを恐れている子供の、純粋で、そして残酷な物語なのではないかと考察しました。
あくまで考察なので、ザクロさんの想定している設定と全然違うかもしれませんね。
それもまた、創作の面白いところでしょうが。
とても考えさせられる面白い物語でした。
またザクロさんの作品を読むことができる日を待っています。
お返事失礼しました。
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