自分が過去の頑張っていたことの痕跡を発見すると何とも言えない泣きたいような気持ちになります。
例えば高校生のとき部活で腕を上げるためにコツや心意気を書き殴ったノート、例えば大学生のとき海外に留学する前に旅先での注意事項を細かく書き連ねたメモ、例えば転職活動のとき自己自身を懸命に模索した分析の記録。
そこに書かれた、今とは少し雰囲気の違う筆記の跡を見ると、ああこの時の私って頑張っていたのかもしれないなあと、胸がぐっと詰まります。
それは、情けない大人になってしまったことを過去の自分に知られたくないと思う罪悪感からなのか、あの時に頑張りを認めてあげられなくてごめんねという懺悔なのか、はたまたそれともようやく今になって過去の自分を認めることができるようになった安堵感なのか。
こうした過去の遺産を未だに大事に抱えている私はもしかしたらあのころからちっとも進めていないのでしょうか。
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名前のない小瓶
私も昔の痕跡を見ると何とも言えない気持ちになります。
ただ、足掻いている・頑張っている点に関しては歳を重ねるごとに努力しているように感じます。
若い頃より失敗できない、問題も多く、ハードルが高い。だけれど、その現実に立ち向かっているので頑張っているな〜と良い点も見るようにしています。
頑張っていた頃の自分と今の自分に足りないもの、得ているものによって色々変わると思いますよ。あの頃は家族がいなかったけれど、今は子供もいるのであれば昔より責任が増えて頑張る軸が変わってきます。
過去の遺産を大事に抱えるのも良いですが、真面目に考えすぎて自分自身を追い詰めているのかもしれませんね。私は進んでいると思いますよ。おそらく向上心があるからこそ、環境は違っているのにあの頃の自分自身と比べてしまい、ご自身でハードルを高くしているようにも感じました。
個人的には、過去の遺産をカンフル剤のように使えるのが良いと思います。「よ〜し、あの頃のように頑張るぞ〜」「そういえば、こういう事が得意だったな。またやってみよう」など。
おそらく頑張りすぎている状態だと思います。私がひさかたさんの友人だったら、美味しいご飯とお酒を用意して貴方の良さを語っているはずです。自己評価が低くても、人から見た自分は評価されている事もあります。大丈夫、進んでいますよ。「懺悔なのか、安堵なのか」という文章を読み、おそらく昔のご自身だったら考えられない感情だと思うので成長している証拠だと思いますよ。
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