私はとても恵まれている。
安心して帰れる家があって家族がいて、私に温かい言葉をかけてくれる優しい友人たちがいて、大学では私の心に寄り添ってくださる相談室の人たちがいて、困ったら助けてくれていつも良くしてくださるアルバイト先の方々もいる。
温かいご飯も当たり前に食べられて、何不自由なく大学まで通わせてもらって、休学までさせてもらって、その上アルバイトのお金は自由に使わせてもらえて、友人たちと遊ぶことができる。
歩くことが好きで散歩に出かけられて、好きな音楽を聞けて、歌を歌うことを大好きでいられて、お花を見て心を落ち着かせることができて、丈夫な体を持っていて体力があって、食べた分を栄養として体に蓄えることができて、毎日を何事もなく終えることができる。
本当に恵まれている、恵まれすぎている、私はぬるま湯の中で生きすぎてしまっている。書き出していて痛感する。
それでもなぜだかずっと不安で、眠れなくて涙が止まらない日があって、どうしようもなく苦しくて、だから死んでしまった方が楽だと思ってしまう。こんなにも恵まれているから、自分の弱さのせいだとわかってしまうから余計にみっともなく、より死にたい気持ちが溢れる。ループ。
人にも運にも恵まれているから、日常の中の小さな幸せはたくさん散らばっていて、私がもっとちゃんと生きられていたら、もっと強く生きられていたら、今頃よくわからない不安なんて気にせず、目の前にある幸せに目を向けられていただろうなと思う。今の私にはそれが難しい。
なんで苦しいのか。過去にあったこと、幼いころからの性格、いろんな理由があることはわかっている。自分が無能、無力、無価値なのも理解している。中学生の時に20歳には死のうと決めたのに、20歳に死ねず、21.22歳という間に死ぬタイミングを決めては、勇気を出せずにいる。いらない人間だと自分が1番理解していながら、こんな時にも勇気すら出せない。何もできない人間であることを痛感させられる。
いろんなことに恵まれたおかげでここまで寿命が伸びたと思っている。いや、そのせいで寿命が伸びてしまったという言い方の方が正しいかもしれない。高校で友人たちに出会っていなかったら20歳で本当に死ねていたと思う。もちろん出会えてよかったとも思う。同時に、もうこれ以上大切な人や心残りするものに出会いたくないとも思わされる。何かと出会ってしまう前に死なないと、なんだかんだ苦しくなるのはもうわかった。心残りなんてないと思っていても、思い出やたくさんの人にもらった言葉は頭の中にチラついてとても邪魔なんだ。
何が書きたかったのかわからない。文章力のない私は思いついたまま書くことしかできない。ごめんなさい。