僕の現在位置です
精神科病棟を出て、ちょうど7日目。
依然として、入院前の自宅の様子が掴めないでいる。
洗濯機の使い方、オーブンレンジの使い方も部分的に忘れている。
こないだなんか、洗剤の代わりに柔軟剤を入れて洗濯しちゃったぐらいだからね。
すごく強い香りがしたから、さすがに気づいたけれど。
だって、柔軟剤で洗って、更にすすぎの時にも柔軟剤が入るわけでしょ?
いや、これは使い方を忘れてるんじゃなくて、頭がボケてるだけかね。
何れにせよ、自宅に戻ってきているのに心はまだ入院中、そんな感じなんだよね。
そんな中、入院中に知り合った仲間から「歌を歌いに行こうよ」とお誘いのメールが届いた。
僕自身、この10年の独居中に、音楽を聞くことはあっても歌うことは殆どなかった。
まあ集合住宅だし、声出したら迷惑がかかるからね。自粛してた部分が大きい。
そんな生活だから、カラオケに行くのも良いな、と思って快諾した。
でも、退院してからとにかく忙しくて、A社労士とのやり取りも本格的に再開。
準備するものもたくさんあり、書類やら、過去の記録の検索やら、すでに息切れし始めてる。
そもそも、障害年金申請に関して「強迫性障害」という疾患は、不利にしか働かない。
以前は、強迫性障害などの神経症性疾患に罹患してる患者は、
「神経症は努力すれば治る。そんな人にカネを配るのは甘えを助長させるだけだ」と、
当時の厚生省の役人たちから、まるで穀潰しかのように扱われて、
障害年金の対象疾患から外されてたんだから。
厚生省から厚生労働省に変わり、日本年金機構が設立された今においても、
基本的な考え方は変わっていないのが現状だ。
話を元に戻そう。
カラオケのお誘いがあって、お店はどこにするか、機種は DAM か JOYSOUND か、など、
仲間が全部お膳立てしてくれたので、僕は日時と待合せスポットの調整だけ引き受けた。
その後の話もスムースに進んで、あとは当日を待つだけ、というところに、
A社労士から質問攻めのメールが何通も届いた。今日もすでに5通届いている。
こちらとしては、メールでのやり取りでも構わないけれど、
できれば双方向性・リアルタイム性を重視したいタチなので、
電話での会話を望んでいるんだけど、こちらからコンタクトを取ろうとしても繋がらないことが多い。
それが本当に困る。
前に流した小瓶にも何度か書いたと思うけど、僕の雇っている社労士は凡ミスが多い人で、
2023年と書くべきところを2923年と誤記していたり(タイプミス)、
クリニックの通院期間と会社の退職時期がずれていて、整合性が取れなくなっていたり。
「本当にこの人に預けて大丈夫かな」と思わされること多々。
それもフラストレーションの一つになっているのだ。
文書にミスがあるから直してほしい、それを伝えるために電話をかけても出ない。
夜遅くになって僕も疲労を感じる頃、ようやく連絡がついて用件を伝えるも、
実際に修正が反映されるのは翌日以降。
そんなやり取りだから、こちらもやがて気疲れする。
正直なところ、娑婆に出て、歌を歌ってストレス発散、なんていう気にはなれない。
もうお店も予約しちゃってるし、その前にランチもするって言うから、
今さら断るのは悪い。けど、あんまり乗り気じゃない。
すべては16年前に発症した精神疾患のせい。
入院中に何度も考えた。「なんで自分がこんな目に遭わなきゃならないのか」。
「なんで普通に生きることが出来ないのか」。でも、答えは出なかった。
精神科医も、看護師も、MHSW も、公認心理師も、結局はみんな健康体だから、
患者の本当の気持ちなんて、分かりっこない。表面上、分かったつもりになっているだけだ。
その人達が患者の本当の気持ちを理解することが出来るとしたら、
その人達が精神疾患に罹患して、苦しみを味わう立場になってからだろう。
というか、それしか有り得ない。
こういうことを聞いてくれる人は、残念ながら僕の周りには誰一人として居ないんだ。
もと入院患者同士で話したとて、考えていることはハッキリ言ってみんな違う。
抱えている疾患だって、人それぞれだ。
少なくとも、僕と同じ疾患や症状を抱えている人は居ない。
だから、その人達に話したところで、なにも解決を見ない。
そういう経験を繰り返していると、「消えたい」「いなくなってしまいたい」
そんな気持ちが湧いてくるのだ。
それを正直に両親に話してみたら、「じゃあ何のための入院だったのよ」と逆にドヤされて終わった。
家族でさえ、そんなもんだ。
まあ、うちの場合はそもそもが機能不全家族だから、相談する相手を間違えただけなのかもしれないね。
そう遠くない将来、入院直前の、あの退廃した心の中にこびりついていた心情が蘇ってくることだろう。
もう精神科への入院は懲り懲りだけど、その時どうなるか、自分でも想像がつかない。
今度こそ本当に、現世(うつしよ)から消え去るかもしれない。