物心がついたときには、絶対的なセルフイメージができあがってた。
「どうせ自分にはできない。絶対に。自分ごときがうまくいくはずがない」
幼い時から重度の躁鬱病患者でもある父親から日頃から言われてきた言葉。
これでもかってくらい、否定の言葉のシャワーを浴びせ続けられてきた。
歳をとった今でなら、当時の父親の心境も理解できる。子供に当たるのも仕方がないと思う。
ただ、その代わりに自分を押し殺して生きてきた分のツケを大人になった今でも払い続けている。
決して消えない希死念慮、自己否定、自己肯定感の低さ、完璧主義者。
自分の感情を「無」にしてきたことで、意思決定の力が圧倒的に低い。自分で決めないことによって自信も付かない。
周りに合わせることでしか生きられなかった。自分を押し殺して他人を優先する価値観ができあがった、ただのピエロだよ。
これまで何度も何度も何度も死のうとしたけど、実行に移すそんな勇気もない。
自殺に関する本も買ったし、ネットでも調べた。医者にも相談したりもした。
一度だけ首吊る手前まで行ったけど、怖くなってやめた。
それでも頑張って生きてきて紆余曲折あって、結婚した今でも希死念慮は決して消えない。
仕事でミスをしたり、他人と比べて能力が低いのは幼いときに培った、「マイナス人間製造機の中で育った環境」があるからだ、
と幼い頃のせいにして、また自分を攻めての繰り返し。
決して他人には理解されない。孤独な辛さと周りへの助けも求められない。
なぜなら他人にはわからないから。いつまで自分自身と戦うことをやめられるのか。
いつになったら報われるのか。幼い頃に空いた穴の代償が大きすぎて塞ぎ切れない苦しさがある。
だから自分の中にこもるクセができた。映画を観ているとき、小説を読んでいるときは、その世界に溶け込めるからある意味幸せだ。
ただそれは一時の現実逃避でしかない。あくまでリアルな現実世界で自分と打ち勝たなければならない。
どうしたら幼い頃の自分に対して、父親に対しての愛情コンプレックスを克服して、自分自身を認められるようになるのか。
いつになったら負の連鎖を止められるのか。
いつになったら自分を許せるのか。
いつになったら自分をいたわることができるのか。
いつになったら自分を褒めることができるのか。
泣くようにとっておいた涙も枯れはてて、もう涙が流れることはない。
あるのは胸いっぱいの希死念慮と自己否定。
穴の空いたバケツってすごく的を得た言葉だなっていつも思う。
自分が本当に死ぬ頃には「バケツ」の穴が閉じられていたら幸せだろうな。