私には楽しい幼少時代も青春時代もほとんどなかった。
機能不全家族、虐待ネグレクトで、家庭で苦しみ、外でも人にも恵まれず、自分の恐怖反応に苦しみ、
そこから逃れるために家を出た後も、脳に染みついた恐怖反応はなくなるわけもなく、こんな私に共感できる人はいるはずもなく。
この人だったら、と希望を持っては、この人も私とは違ってまとも(健康)だった、という失望の繰り返し。
神経系が普通ではなくなっていたので、普通に生きられることはなく、一日一日生き抜くのが危うい、という状態の時が多々あった。
友情や仲間を築くのも難しければ、恋愛なんてできるような安心感はかけらもなく。
たまに好意を見せてくれる人がいても答えられず。
少しずつ知り合って信頼関係を結ぶということも恐怖反応でできなかったから、ほとんど体目的とか、関係性を無視してグイグイくる人としか恋愛関係が結べなかった。
なんとか結婚して子どもができて、私のような思いは絶対にさせたくないと努力して、自分の子どもが精神的にとても健康な子に育っているのを見て。
友達が沢山いて、人間を肯定的に見られる、友情を楽しむ我が子を見て幸せな気持ちになる一方、
自分は未だに、人間が苦手で。
表面的な付き合いはできるようになったけれど、親しい人はほぼおらず。心の底では、人間の善性を信じられてない自分に気づく。
最近、異性で、本当に久しぶりに、自分を慕ってくれる人が現れたとき、
私が健全な人間であれば、若い時に、素直に愛情表現をして恋愛を楽しんだり、自分の子どものように仲間とワイワイやったのかなって。
やるせない気分になる。
もう恋愛はできなくても、友情を築いて、信頼関係を築いて、
子どもだけの人生にならず、子どもに安心して羽ばたいてもらえる自分になりたい。
他にも色々あって書き切れないんだけれど、
まだそんな自分になれる伸び代は私の人生に残っているのかな。
恐怖反応は薬で抑えてどうにか生きてるけれど、長年培った世界観とか人間に対する反応とか、仕事でもコミュニティーでも、どこでも反映されていくから、実のところ孤独は続いているんだけれど、どうにか治していかなければ仕事も行き詰まるし。
もしかしたら私は人を選ぶのかもしれない、と最近思い始めた。
世界観や人間観を改善して、人やコミュニティーと繋がっていくために、何かアドバイスがあれば教えてください。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
私は開き直って孤独を選択してる。
無理して人の輪に入っても疲れるもん。
ひとりは楽。
薬の量が増えるくらいなら、他人とかかわらない方がまし。
子どものために長生きしなきゃいけないから、わざわざストレスに飛び込んで行って疲れて、薬がぶがぶ飲むとかやってられない。
あいさつ程度のコミュニケーションが出来ていれば、人として別に否定されることはないだろうし。
仕事は業務連絡程度のコミュニケーション。私生活とか話さない。それで困ったことはないよ。そういうキャラを貫いてる。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項