最近、昔のことをよく思い出している。
絶対に戻ってはこない思い出たちに切なくなると同時に、あの時の自分が感じられていた感覚達も、もう随分と失われてしまったんだなあと痛感させられる。
昔の自分は今よりずっと愚鈍でどうしようもなくて、最近になって漸く世間に馴染めるようになれた気がする。
普通とか一般的というものの感覚が何となく分かって、少しずつ生きやすくなってきたような気がする。
それに比べたら昔は生きるのが苦しかったなあ毎日大変だったなあと思う。
それなのに、変われた自分にどこか寂しさも感じている。
昔のどうしようもない自分が感じていた感覚を、見ていた世界を思い出すと、今の自分には確かに無いものだと思わざるを得ないのだ。
外を歩けば感じていた風の温度とか、帰り道に漂っていた花や洗濯物の香りとか、窓から差し込む太陽の光の色とか、雨の日の湿気を含んでひんやりとした空気に晒された肌の感覚とか。
今でも思い出せるし、感じること自体はできるのだけれども、あの時の自分と全く同じような感じ方が出来ないなあと思うのだ。
なんと言えばいいのか、今の自分が持てる感覚というものは、全部言葉にして表現出来るものに終始するようになってしまったように思う。
あの時の自分には、今の自分にしても言葉に出来ないような、内に燻るものがたくさんあった気がする。
成長に伴って得た言葉が上手く自分の中身を表現出来る道具として体得出来ていると思えば良いことなのだと思う。
それでも、今の自分でも言葉に出来ない感情や感覚の中で生きていた昔の自分を懐かしむと、一般化されて削られて皮の厚くなった自分になってしまった気がして、なんだか少し寂しい気持ちになってしまうのだ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
まこん
とっっってもわかります!!
大共感です!!
あなたのおっしゃること全てに共感できます!
嬉しくてちょっと興奮しています、すみません笑
なーーんにも考えずに生きている人なんて世の中山のようにいます。
そんな中で、ここまで感情やその時の情景や俯瞰で見た自分の思いを言葉にできるのは才能だと思います。
わたしも言語化や人に感情を伝えることには自信がある方ですが、あなたの感性はとても素敵ですね。
自分が確立できていなくて不安定な時の方が、周り全てが輝いて印象深く見えるものですね。
自分というものや人生が安定してくると、揺るがなくなって動じなくなってやっぱり感動はしにくくなってきますね。
目新しさがどんどん無くなって来て、あーはいはいこれはこうなったらこうですね。
と、すでに習った所をもう1度やるみたいな感じと言いますか。
歳を重ねて生きていく以上誰もが持つ感覚なので、しかたない部分ではありますね。
夕日の美しさはきっと高校生が1番知っています。
でも日々の時間の流れの早さや儚さや残酷さを知っているのは大人です。
感じ取るフィールドが変わったというか得意分野が変わったというか、そうやって失うものと得るものが変化しながら生きていく。
そこには、少しの寂しさやもう取り戻せない焦燥感のような切なさ、これでいいんだろうかという一抹の不安のようなもの。
確かにそういうものもありますね。
でもそこに愛しさを感じます。
まだまだ先は長くても、振り返ればわたしもここまで来たんだなぁという感慨深さ。
何だかあなたとは、一緒にお酒でも飲んで語り合ってみたいくらいです笑
押入れの奥にしまった箱の中身を、たまには取り出して眺めて懐かしむ。
そんな感覚を、あなたもわたしも忘れずに生きていきたいですね。
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