自分は動物が苦手で、飼ったことすらありません。
だから思います。
動物愛護団体はなぜ家畜業者を止めないのだろう。
犬や猫の命は守られるのに、ヒヨコや鶏や牛や豚は守られない。
とさつ時期がくるまではちゃんとした環境で栄養豊富な餌で飼育さてるから『大事にされている』ってことなのかな?うーん。出荷時にとさつするのはOK?
『あれは食べるためにしかたないんだ』っていうこと?
いやでも、中国や韓国は昔から犬食べるでしょ。まあ、今になってそれをどうこういうのって、日本に『くじら食べるな、かわいそうだろ!』っていうのとおなじだとはおもうけど。
だからさー、ヒヨコや鳥や牛や豚は?彼らは『どうぶつ』じゃない?
自分は肉食べますよ。革製品もきます。
動物を愛でることしないので。飼いません。
飼い犬は人間社会の一員になるために、人間の都合で躾られてるように見えるから、私が犬なら生殺与奪を人間に握られた一生なんて嫌です。
『家のなかで一番自分の地位が低い』ってわからせないと噛むとか吠えるとかいうけど、だから躾大事っていうけど、
もし人間が宇宙人のペットになる日が来たらぞっとするよー。
あなたは動物好きですか?
自分は動物園もペットも興味ありません。お肉も食べます。
動物の生殺与奪を握ることはしませんが、それが自分なりの共存です。
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ななしさん
こんばんは。面白そうなお題なので考えてみたくなりました。ちなみに僕もペットは飼いませんが、犬や猫には懐かれやすい方です。
愛護団体が家畜業の人たちを止めない理由の1つは、純粋に規模の問題だと思います。
仮に家畜業の人たちの仕事を止めさせた場合、仕事を止められた彼らはどう生活していくのでしょう?代わりの仕事を紹介し、全員に生活の補償をしてあげられるくらいの規模の雇用を、愛護団体は持っているのでしょうか?
また、動物肉に変わる食材を、世界の市場に提供できるだけの技術や大規模な工場生産ラインを、彼らは傘下に抱えているでしょうか?
答えはNOでしょう。それだけの規模が傘下にあれば、もはや動物愛護業界とか愛護産業というべきもので、団体というくくりではありません。
次に「命になぜ違いがあるのか」という問いですが、そもそも歴史的に見て命は不平等です。だから同じ動物でも愛玩用と食用とでは扱われ方が違うのです。「命が平等」という考え方は、むしろこの2~30年で出てきた新しい考え方で、多くの人に普及してないからではないでしょうか?
また「命が平等」という表現は基本、人間の枠内だけで使われることが多い印象です。動物間のことにも使う人は結構少数派だなと思います。その豊かな感性や、気付きは大切なことです。
僕もなんか考え尽くせてない気がします。今出てくる回答はここまでですが、これからも考え続けてみようと思います。
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