わたしは、信じてくれる人ができるのがこわくて
嫌われる行動をあえてとるときがあります
予防線をはるみたいに
期待を裏切りたくないから期待しないでほしい、とか
ほんとのわたしを知られたら困る、とか
成功は運が良かっただけだから、わたしの実力としてカウントしないでほしい、とか。
それって、わたしがわたしを守りたいから
現実のわたしがだめだめだから
他人の中のわたしはせめて「理想のわたし」「きれいなわたし」でいてほしい
心配かけたり、迷惑かけたり、そういうのが煩わしくて、プレッシャーが嫌
「わたしが、負担に思いたくない」だけ
責任ってものが異常に苦手で
卑怯なんだよね
矛盾してるの!笑
それで結局自分勝手な行動してたら却って独りよがりでしかないのに、不器用というか、幼稚というか、なんというか
それで最近思ったのが!
信じてくれるとか、気にしてくれるとか、こだわらなくてもいいんじゃない?ってこと
信じてくれてるってのは、わたしが勝手に「信じてくれてる!」って思ってるだけかもしれない。(疑うのは失礼だけど、あり得るって思ってる)
ほんとに信じてくれてるとしても、「相手が勝手に期待してるだけ」って思ってみる。
そんなのさみしいことだってわかってるけど。
そういうことにしたら、自分が楽でいられるなら、あまりに苦しいときはそういうことにしたらいいんじゃない?って。
確認のしようがないことは、気にしても答えはないから、信じたいものを選んでいいことにするの。
わたしの場合、「期待は向こうが勝手にすること。やることは変わらない。やれる範囲でやれるだけを頑張るだけ。」
あなたも試してみてほしいな
あなたの場合だと、こんな感じになると思う。
「裏切られたって、信じたければ信じていい。何度でも。」「信じてくれてる人や気にかけてくれる人が、目に見える形で分からなかったとしても、必ずどこかにいる。その人たちが自分のことを目にしたとき、元気でやってるな!頑張ってるな!って安心してもらえるように、楽しみを増やしていこう。」
お互い、せっかく生まれたんだから
楽しい瞬間をたくさん経験したいよね
くるしいことしんどいこと
たくさんあって
生きていたくなくなっちゃう時があっても
大丈夫だよ
前を向きたくなるまで、後ろ向きで大丈夫
生きてたら、それで大丈夫なんだよ
「あのときの喜び」を思い出して
追いかけられるように
大切にしてこれからに活かせるように
失敗も後悔も痛くて恥ずかしい経験も
全部あなたのもので
あなたの人生
それでいいんじゃないかな