本気で「生きててよかった」って思っても、それを心の中に留めてしまうのは、これが自分勝手な感情だと考えているからか……
私が嬉しいだけのこの感情が、はたして相手にとっていいものなのか……自信がないんだ。
『生きている』『死んでいない』その事実が喜ばしいことなのは自分にとってあたりまえで。君のことを思っているというより、標準装備の感情だから、その、君がどうとかいう話じゃないのが申し訳ない気がして伝えられない。
自分のことを思って、そう言ってほしいんじゃないか……って。
それだと当てはまらない気がするんだ。
条件反射みたいな……
生きていてくれることが嬉しくないわけないし、
死んじゃうなんて、そんなの悲しくないわけないじゃん。君を本気で思うとか思わないとかの話じゃなくてさ……だから、それだとやっぱり違うのかなって。
嘘だとか、偽善だとか、
自己中な思考であって、他人に対する思いやりが本当にあるわけじゃないというか。考えすぎ?でもここにいると考えちゃう。そして私は考えたがり。
いつもありがとう。おかげで人生豊かだ。苦しんでいる人からすれば堪ったもんじゃないだろうけど。でもこれはしょうがないんだ。育ってきた環境とか、歩んできた人生とか、考え方の違いとか脳の構造の違いとか。そういうもんだと思うから。大した苦しみをその身に受けていないせいか、苦しみを幸せと考えるこの身の成果か。はたして?
まあ、とりあえず
他人の気持ちはどうでもいい
自分の気持ち100%の
「今日も生きていてくれてありがとう」を書いて置く。
同じようなことを前にも書いたけど、そこから心情の変化はないらしい。大切な情報、記録だな。
これからも、生きているかぎり続けていけると面白いかも?
じゃ、おわり。
失礼しました
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん、お返事ありがとうございます。
※以下お返事ではなく、お返事をもらったことによる小瓶主の独り語り
そうか。
「いただきます」と「ごちそうさま」か。それは出てこなかった。わたしはその言葉をあまり口にしないから……いわゆる、「基本の挨拶」というものは苦手でな。いつしか、心のなかで言うことも少なくなりつつ……
大切なことを思い出させてくれた。ありがとう。
そして、そのたとえは秀逸だ。
『基本』『日常』『謝罪』『感謝』
つまりそういうようなものだ。というのが詰まった文章は好みだ。ああ、いいな。
「いただきます」と「ごちそうさま」か。
こんな素敵な言葉が身近にあったのに、置きっ放しにしていたなんて。
すまない。ひとり勝手に盛り上がってしまった。
とにかく、「そうなんだよ!」と思ったことは書いておこう。わたしとって、これはそういうものなんだと。
ななしさん
あなたなりの「いただきます」「ごちそうさま」なんでしょうね。だからいつも欠かさずにいられないのかも。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項