まだ自分は未成年だった頃で家庭は母子家庭だった。
自分、母、少し年の離れた姉、姉の旦那、姉の子供でマンションに住んでいた。
母親は朝から晩までずっと働き詰めで、あの頃は殆ど姿を見なかった。
学校に行く前、疲れからか布団でギリギリまで眠っている母を朝に遠巻きに見ていたのを覚えている。
母は夜も働いていて、いつも夜の零時近くまで帰って来なかった。
学校へは片道一時間ちょっと掛かっていたので朝早く起きるために自分は零時には眠っていた。
7月、学校が夏休みに入る直前に母は私の目の前から居なくなった。
失踪、蒸発したのだ。
定期券の代金は母が払っていたので、定期券の期限が切れて学校へ行けなくなった。
担任の先生が家まで来て話をしたけれど、成人していた姉が殆ど話をしていて私はあまり覚えていない。学校を辞めると言ったと思う。
お金の頼りが無くなった私に姉がご飯などを作ってくれた。
私は母親が蒸発して目の前から居なくなった現実を受け入れることが出来ないでいた。
そうこうしているうちに姉の旦那がマンションから出て行くと言った。
元々、母親と姉の旦那が折半する形で生活費などのお金を出し合っていたので、母が居なくなった状態では立ち行かなくなったのだろうと思う。
そして、姉とその旦那とまだ小さかった姉の子供はマンションから引っ越しして出て行った。
私はマンションに一人取り残されたが時々姉が様子を見に来ていた。
背に腹は代えられない状況に陥っていた。幼い頃からずっと貯めていた貯金箱があって、名残惜しさもあったが躊躇なくそれを開けたのを覚えている。そこそこの金額があった。
お金が無ければ食べ物も買えない。崩した貯金箱で食べ物を買った。また、同級生の友達がパンやゼリーなどの食べ物を持ってきてくれて恵んでくれた。これは嬉しかったしとても助かった。
しかし、それも一時しのぎにしかならない状況だった。当然、電気代やガス代などの滞納が発生していて、ガスが止まり、電気が止まり、だけど水だけはギリギリで止められていない状況だった。
冷蔵庫に入っていた食べ物は腐り、そこには数え切れないほどの無数のハエや蛆が冷蔵庫にたかっていたのを見て戦慄したのを覚えている。とてもおぞましい光景だった。
家賃も例外なく滞納状態だったので私は外に出ざる負えない状況になった。
午前5時くらいだったと思う。日が昇りかかっていて明るくなってきた時間帯、知っている公園のベンチでうとうととしていると一台のパトカーが近くを通りかかった。
私はとっさに反射的にベンチの下に身をかがめて隠れた。
パトカーは私に気付かずに通り過ぎて行ったようだった。しかし、何故隠れたのかわからなかった。何も悪い事なんてしていないのに…。そう思った瞬間、とてつもない惨めさが心の底から込み上げてきた。
何故こんな状況、状態なのか受け入れたくなかった。母親もいつか帰ってくると信じていた。だから夜な夜な母をあてもなく自転車に乗ってペダルを漕いで必死に母を探し回った。夜の闇を駆け抜ける無数の車のテールランプだけが光っていたのを覚えている。
でも母は帰っては来なかった。
お風呂にも入れない状況だったので、たまに友達の家のお風呂を借りた事もあった。友達の両親が居ない時に隠れて借りていたので助かってはいたけれど、これもすごく自分を惨めな気持ちにさせるものだった。
先がまったく見えない状況だったので食べ物も節約して一日一食にして最小限のものしか食べなかった。特に保存が効く缶詰などをよく買って持ち歩いて食べていた。
幼い頃から貯めていた貯金箱のお金が無かったらどこかで野垂れ死んでいたかもしれない。
こんな生活が三か月くらい続いた。
姉のところに転がり込んだりした時期もあったけど姉の旦那からしてみれば私はただの邪魔者。その旦那の私への当たりがきつくなって結局、居心地が悪くなってすぐに出て行った。
それから色々な事や様々な事があって最終的に祖母の元に行く事になるのだけれど、そこからはヤングケアラーというまた別の地獄のはじまりになるのである。
かなり端折って書きましたが友達の助けなどがあったので厳密にはホームレスとは言えないかもしれないですね。
自分語りでしたがここまで読んでくれてありがとうございます。