卵買ってきての話しの続きになりますが。
自己犠牲で承認欲求を満たしていたことが判明しました。
何ヵ所も探し回って買ってくると
自分は
「○ヵ所も回って見つけたよ」
と必ず言うのです。
本当は探し回るのめんどくさくて嫌なのに、やってしまう。
探した後、どっと疲れて嫌になるのに、やってしまう。
自己犠牲でしか「ありがとう」を貰えない気がしている。(洗脳されてます)
全く自分を愛せていない。
自分を愛して満たされて、溢れ出たもので「ありがとう」を得るようにしないと
永遠と自分を傷つけることになる。
なんなら「ありがとう」がほしいなんて思ってたら永遠と誰かに依存することになる。
そんなのは幸せとは言えない。
そんなだとストレスを減らすことはできない。
これは大きな発見。
「自分を大切に」って人に言っときながら自分が自分を大切にできてない。
今までの方、ごめんなさい。
これから変わります。
過去のノートとの書きなぐりと合わせてみると過剰な気遣いをなんとかしたいみたいですね。。
自己犠牲と呼べるまでの過剰の気遣いをすることでしか感謝されないというレベルに刷り込まれているようですね。。
とはいえ、見返りを求めない奉仕の心なんてものはもはや聖人だと思います。
なので、
頼まれて買い物に行って、
卵が売り切れだったと伝えることで十分に気遣いはしたと考えるようにするとか、
2店目を探した段階で気遣いは十分だと考えるとか、
「○ヵ所も回って見つけたよ」というのを承認欲求を引き出すためにつかうのではなく、
ただの報告や苦労話として話せるといいのかなと私は思いました。
まずは過剰な気遣いはしないぐらいで、
マイルストーンとしても良いのではないかと私は思いました。
以上、書きなぐりがマインドマップになった人の感想でした。