就寝前や一人で物思いに耽るとき、
私は「自分のどこがいいか」を探し、
それをどうやって論破するかをつい考えてしまいます。
例えば、「周りの人より頭がいい」は「すぐ近くにもっと賢い人はいるし、自分で頭がいいと思ううちは頭悪い。そもそも他人と比べて自分が良いとか考えてる時点で馬鹿愚か」といった感じです。
友人のことを考えてると、「彼は向上心の塊だ。より良いものを作ろうとしている。
お前は今に満足して成長も努力もしない。
成長して努力したところでやっと人並みになれるかどうかだ」と自分を下げてしまいます。
その上今手紙を書いている私はすぐ調子に乗り、自己中心的で、全く他人の都合を考えてないのです。
そうして私を自分が否定していくうちに、他人を心のなかで下げる私がいました。
他人を攻撃して自尊心を保とうとする私がいました。
いじめの被害者と心の何処かで誇っていた自分が、いじめの加害者になりそうになっているのです。
矛盾にはとっくに慣れてます。
ただ、私の存在理由がどんどん自分に消されてゆくのです。
他人の目をあまり気にしない、それは私もやっています。
他人の目を気にしなくなると、自分が敵になるとは思わずに。
人は、自分を肯定する、または自分を肯定してくれる人がいないと生きていけないと聞いたことがあります。
私を肯定してくれる人は、今精神的に危険な状態です。
私を肯定してくれるどころではありません。
逃げることもできません。
そもそも自分からは永遠に逃げられず、休息を取る時間的余裕もないのです。
ふと、ここにいるのが私である必要はあるのか、
なぜ他の人で代用できることでしか求められないのか、
なぜ友人や家族はもっと良い人がいるのに自分と仲良くするのか、
などを考えます。
一応自殺は考えていません。
昔自殺を諦めたときはやりたいことが残っていたからでしたが、
今は自殺した場合親や親戚が自分に投資した時間と金銭、労力は失われ、自殺の後処理で追加で上の3つが失われるから、つまり親や親戚に迷惑がかかるから自殺しないまでです。
もし、この私を否定する自分への対処法があったら教えてください。
自分の否定の否定は失敗しました。人格否定へと悪化しただけでした。