もう「命ある存在」として、この世界に存在していたくないと強く思う。自死願望を初めて自覚したのは、5~6歳のときだ。何度も死を渇望して、服毒したり交通事故に遭ったりなどしたが死まで到達できなかった。あれからもう何十年も経過した。努力して小中高大時代を通過して、社会人になり、不遇な環境に抗うことはできても自死願望に抗うことはできずに現在に至る。
「人間らしい個性があっていい」なんて真っ赤なウソだ。人の言うことを一言一句聞いて、機械のように正確に動く人間を世界は求めている。性格が良くても無能だったり、コミュ力が無い人はお呼びではないようである。世界の潮流に逆らうには、うるさい邪魔者を閉口させるには力を付けるしかない。力こそ正義である。実際に自分の能力を高めたら、敵をねじ伏せることができた。以前は見下してきたあの人だって、手垢が出てくるくらいにゴマをすって態度を変えてすり寄ってきた。
なぁんだ。人生って 「クソ」 馬鹿馬鹿しいなぁ。真面目よりも、ふしだらで真面目系クズで暴言を吐く人の方が得をしているじゃないか。人生や世の中の本質が見えてしまった。
自らの思い描く世界を乱されたら、(相手が原因かは関係無く) 攻撃するのが人間の本質だ。こちらが相手に対して敵意を持たずとも、銃口を突き付けられるのだ。「銃を突き付けられたお前に原因があるから悪い」 とどんな人からも口を揃えて言われるのが人生のお約束だ。
人間界は大部分がマウントの取り合いで構成されていると断言してもいいと思う。愛し合いよりも傷つけ合い、認め合いより否定のし合い、信じ合いより騙し合いだ。技術革新が何度起きようとも、人間革新は起きない。人間の進化は既に終わっている。
子供のころは教養を強要されて、社会人になれば「人生が上手くいかないのは、お前の努力不足のせいだ」と叱責されるのだ。ガキは大人のいいコマ (おままごとの玩具) にされ、成人すれば偉い人の手の上で転がされるのだ。つまり、終始逆らえない苦行を強要されるのが人生という悪夢である。
生きていれば、何かいいことがある?冗談じゃない。名言を聞いて人生が変わったように感じる高揚感は詐欺師によるイリュージョンでしかない。
一時期は洗脳された振りをして、積極的に生きてみた。資格を得たり、表彰を受けたりしたが結局それは物質的な充足でしかなく、精神的な充足では無かった。どこまで行っても羽交い締めにされるような不自由さ、自死願望からは解放されない。救われるには死ぬ他に手段が無い。
生を受けなければ良かったと後悔しているので、今までの人生を振り返って後悔することは何も無い。生まれる前の私に「生まれても期待外れを味わうから生まれない方がいい」と教えてあげたい。
安楽死を選んだ外国人の話を知り、凄いと思った。「生活のクオリティが下がったからもう終わりにしたい」と私も言ってみたい。安楽死を扱う団体と交渉するためには、最低でも英語は解するスキルが必要だ。10年以上学び続けてきた英語をさらに頑張ろうと決めた。英語に関しては文章もスピーチもそれなりに理解できるレベルに到達したと思っているので、さらに第3言語を習得したいと思う。海外の文化や法律 (永住権など) も学んでおきたい。
後は一生懸命仕事に打ち込み収入を増やすことで、理想に向かって突き進んでいきたい。もし、この場で願いが一つだけ実現するとしたら私は迷わず安楽死 (もしくはそれに近い自死) を選ぶだろう。
自死が選べるこの世界に「祝福」と
心からの「ありがとう」を。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
ほんと、世界って理不尽だよね。
いや、自分の意見を押しつけてきた人が理不尽なのかな。
ここまで生きてきてくれてありがとう
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