「なんでも、こなしてるじゃん」とよく言われる。
それが才能だとも言われる。
でも自分はそんなものは要らないんです。
何かひとつ、秀でたことがあればいいのに。
そうすれば、誰かの隣を胸を張って歩けるのに。
例えば自分の友達でもいいし、親でもいい。
変だ、関係ないだろ、と言われるかもしれないけれど、自分の推しでもいい。
そりゃあ、例えば創作の中とか歴史の中、名がある人物は何か秀でている、何か成し遂げているだろう。
そんな人達と並びたいとかそういうんじゃない。
でも、ときどき無性に「いいなぁ」と。
ただ特に他意はないけれど、そう思う。
平和に淡々と過ごすんだと決めていても、案外自分の性格は嫉妬深くて、何か友達が褒められていたら少し黒い感情が渦巻く。
少し年上の人が、私の得意かもしれないと思っていたもの……例えば物を書くとか……それを、少し上手くやってのけていたら、それだけで少しもやもやする。
仲の良い友達が、私の知らないことを知っていて注目を集めるのをみると、少しもやもやする。
ふざけた野郎である。
そんなやつ、ただの嫉妬深い、ただの醜い人間じゃないか。
そうならないよう、思い描いていたのに。
無いものねだりをする割に、自分から動く意思はないんじゃないか。
確固たる願いとか能動的なことはできないのに、なぜこうも、どす黒い感情が渦巻くのか。
私の思い描く私は、そんなのではなくて。
もっと理想は高すぎて。
なぜ、何もかも中途半端なんだろう。
勉強もそこそこできた。
音楽も、曲がりなりにもやってきた。
音楽大学を受験できるぞというくらいまで。
本も読んできた。
歴史も好きだった。
何かを観察したり、分析したりするのも好きだ。
そんな自分の好きなものにさえ。
競争なんか持ち込めないものにまで。
私はもやもやした感情を、ことあるごとに持ち込んでいる。
私の心は、年々狭くなっている。
中途半端でさえ、なければ。
例えば音楽だけ出来ていれば、本だって嫌いで読めなくてもいい。
例えば勉強が出来ていれば、音楽などできなくていい。
例えば運動が出来ていれば、勉強などできてなくていい。
例えば分析するのが歴史を紐解くことに才があれば。
例えば物を書くのが上手ければ。
自分の高すぎる理想に届く、今の自分がいればよかったのに。
それさえも、自分のエゴであるとはわかっているけれど。
家が恵まれているかもしれない。
だって、よく話を聞いてくれる。
よく笑ってくれる。
よく慰めてくれる。
よく応援してくれる。
そんな親で、そんな家。
そんな環境。
きっと、恵まれているのにさらに上を望むのかと言うかもしれない。
ごもっとも。
だからきっと、今の私を取り巻くものは、私にとってもったいないこと。
でも、それを手放す勇気はなくて。
時間が出来れば、うだうだとそんなことを考える。
だから、いつも最後には、最期には。
せめて、死ぬ時は誰かのために、死にたい。
そう思って、眠っています。