幸せのかたちは人様々だ
お金に幸せを見いだす人もいれば愛に幸せを見いだす人もいるだろう
俺は愛に幸せを見いだしたかった人である
7月にアルコール依存症の症状が出て休職した
そして生活保護を受けることとなった
皆は俺のことなど過去の人だと思っているだろう
そう思っていた
先輩から連絡が来た
俺が長期休職したことで、皆がかなり心配しているらしい
それどころか怒っているらしい
親しい先輩は俺の統合失調症のことを知っている
だから、俺が長期休職した理由はなんとなく分かるということだ
それに、管理者である社員も俺の帰りを待っているとのことだ
だが、アルコール依存症になり、認知機能が落ち、脳に影響が出た挙げ句に話し方まで変わってしまった
そんな死を待つだけの俺の姿をどうやってさらせよう
会社だって慈善事業ではない
俺が復活したところですぐに首を切られるだけだろう
とは言え、仕事上ほとんど付き合いのない人までもが、俺のことを心配するばかりか、怒ってまでくれる
そうだとしたならば、これほどありがたいことは他にない
確かに、母親が入院し、恐らくは実家に帰ることは死ぬまで出来ないであろう俺にとっては
実家という帰る場所はもうなくなったかもしれない
だが、たとえ実家でなかったとしても
帰る場所が元の職場であったとしても
帰りを待つ人がいるということは
大きな喜びであることは間違いない
そうであるとしたならば
確かに何一つ上手くはいかなかった人生かもしれないが
元職場の存在は
俺の人生にとっての最後の光ではないだろうか
そして、自分のことを待っている人がいる
これこそが一つの幸せのかたちであるとはいえないだろうか
だとしたならば
俺の人生は捨てたものではないのだろう
とは言え
今はゆっくり休ませて欲しい
今は人間らしい生活を回復するための時間だ