宛メの小瓶を読み続けていたら、
自分よりもずっとつらい境遇にいる方がたくさんいることを知りました。
これから書き連ねるお手紙の内容は、人によっては不快に思うものです。
ラベルを読んで、少しでも嫌悪感を抱いたのなら、
これより下の文章を読まないことを推奨いたします。
これまで生きてきた中で何度も
「辛い」「消えたい」「投げ出したい」
と、心の底から感じました。
家族、才能、人間関係、学校、仕事...
原因は何だったのか。
思い当たる節がありすぎて今では覚えていません。
そのたびに
スマホでネガティブな言葉を検索し、
たくさん声を殺して泣いて、
最後には元気になれる曲を聴いて、
泣きながら感謝して、
静かに寝る、
そんな夜を何度も過ごしました。
その時に何度も決まって願ったことがありました。
「自分は鬱病でありたい」
本当にうつ病の方々がこの言葉を聞いたら
きっと、激怒することでしょう。
「私は、なりたくてなっているわけではない」と。
しかし、自分は本気で鬱病という
「看板」を欲しがりました。
もしかしたら、今も欲しがっているかもしれません。
自分がこんなにも弱いのは
鬱病だから。
自分がこんなにも無気力なのは
鬱病だから。
そうやって、自分の責任をすべて鬱病に押し付けて、
自分を肯定したかったのです。
何があっても、
自分は鬱病だから、そうやって押し通せるから。
そんな便利な肩書を、何度も欲しました。
本当に自分勝手で、我儘な願いですよね。
自分にとって都合のいい肩書を欲して、
だけど結局、鬱病ではなくて、
ただの弱い人間だと現実から諭される。
それを何度も繰り返しました。
どうかこのお手紙を拾った方々は、
こんな思考回路にはならずに、
自分を信じてください。
余計なお節介であるということはわかっています。
でも絶対に鬱病という結果を望まないで。
これを読んでくださった皆様、
そして今、心を蝕まれている方たちに、
素敵な朝日が昇ることを願っています。