何でかなあと疑問だった。
新興宗教などに嵌り、家族の世話もなげうってお金も何もかも差し出す人たちのこと。
何がそこまでさせるのかなと思っていた。
ちょっと狂気の沙汰だよねと。
まあ色々理由はあるんだろう、人それぞれに性格や人生が違うんだから。
だからこれは一つの思い付き。
間違ってるかもしれないし、当てはまらない人の方が多いかも。
例えばだけど、自分には特に何もないと思っている人がいたとしよう。
顔立ち、体つき、頭脳、運動神経、美術・音楽・体育・料理、
コミュニケーション能力その他。
それどころか、劣っているところだらけで、
平均にすら及ばない所ばかりとかね。
しかも生育環境にも本人の心根にも恵まれず、
劣等感をこじらせて生きてきている場合。
運もなく、努力も報われず、何をやっても楽しめず。
基底欠損の埋まることのない深い穴、
その暗がりに目を向けるのも嫌でたまらなく、ましてや克服なんて考えられない。
でも愛されたい、認められたい、満たされたい。
でもどうあがこうと無理。
というかあがく気力ももうわかない。
こんな自分、何したって追いつけない、
無様で、みっともなくて、能力がなくて、誰からも相手にされなくて当然、
生きる価値もない。
でも自殺はゆるされないことなのなんで?
こんなにも居場所がないのに、苦しくて仕方がないのに。
とそこにするりと入り込んでくる言葉、あるいは人。
すげない態度ばかり取られるのが当たり前なのに、
その人はとてもやさしくてあたたかい態度を自分に向けてくれた。
はじめはどうせこの人もすぐに離れていくと思ったけど、
自分の苦しさを吐き出しても、その人の態度は変わらなかった。
いやむしろ更にやさしさが増したかもしれない。
何でそんなにやさしいのか、と思わず尋ねると、
その人は支えになっている存在がある、といった。
私よりもずっと分かりやすく話してくれる人がいるから、
今度一緒に聞きにいかないかと。
不安がる自分に、大丈夫、みんなとてもやさしいからと
その人はこの上なく柔らかい笑みを浮かべて励ましてくれた。
勇気を出して話を聞きに行くと、とても歓迎された。
自分に向けられる笑顔、笑顔、優しい言葉。
こんなにも喜ばれたの、生まれて初めてかもしれない。大げさではなく。
ちょっとぼーっとなりながらも、お話を聞く。
何だかよくわからなかったし、正直興味も持てなかったけど、
みんながまたおいで、また会いたいというから、思わずうなずいていた。
そしたらその場にいた人全員が拍手をして喜んでくれた。
最初はあの人がいないとお話を聞けなかったけど、
次第に一人でもそこに行くようになっていた。
みんなやさしいから。初めて居場所と思えた場所だったから。
自分も生きてていいんだと思えた。
生まれて初めて味わった感覚を味わわずにいられなくて。手放したくなくて。
繰り返し訪ねるうち、「お話が理解しやすくなるから」と教本を買うように勧められた。
作りの割には高いなと思ったけど、笑顔ですすめられて断れなかった。
買った後は、みんなしばらくものすごくやさしくしてくれた。
そして少しずつやさしさが薄れていく。
ひやっとした思いがよみがえりそうになる。
折角の居場所、世界で唯一自分にやさしい人たちがいる場所のはずなのに。
そのうち、行事があるからと参加を勧められたり、
家に飾るお札や置物を勧められるようになった。
参加するにはお金がかかる。お札や置物にも。
自分にとってはちょっと高いなと思う金額。
でも払うとみんながほめてくれて、とてもやさしくなる。
相変わらずここ以外では、見下されている。
というかここに出入りしていることが知られたらしく、
前よりも余計に冷ややかな扱いを受けている気がする。
ここしかない、自分にやさしいひとがいるのはここだけ。
でも最近また少し優しくなくなってきている気がする。
でも行事もまだだし、お札も置物も買える物は買ってしまった。
…どうしよう。
自分は人とうまく話せないから新しく誰かをここに連れてきたり出来ないし。
もし連れてこられたら、ひと月はとてもやさしくしてもらえるんだけど。
はい、そこで献金です。
献金したら、滅茶苦茶やさしくしてもらえる。
努力とかなんもいらない。お金を出すだけ。
それだけでこれでもかというくらいやさしくしてもらえる。
出せば出すほどやさしくしてもらえる。
多幸感に包まれるわけです。
ほしくてたまらないやさしさをお金と引き換えにもらえる。
でもしばらくするとその効力も切れる。
そこでまた献金。
やさしくしてもらえる。でもしばらくすると…
ループの完成です。
これはただの思い付きを適当に書いてるので実際はどんなことが起きてるのかは知りませんが。
心の隙間に付け込んで、お金を搾取したりしてるんだろうなーと。
弱いところって大体の人もってるだろうし。
不安を解消してくれたり、自分の欲しい態度や言葉をくれたりする相手に
お金払えばいいなら、ってなる人はいるよね。
新興宗教は救ってくれないと思う。
じゃあどうすればいいのか。
お金とられない手段で探すとかかなあ…。
手っ取り早くすがりたくなる気持ちはわかるけど。
相手にも人生があるし。甘い顔する人はそれこそ大体裏があったりするから。
あ、ここのサイトとか?
でも今日この小瓶流す時点で
小瓶が流れるまでの目安 64日以内
…ごめんなさい、こんな長文。
このくらいにしよう。
こーんなながい、陰鬱な文、読んでくれてありがとう。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
ありがとうございます。
まさかこんな小瓶にお返事いただけるとは思わず。しかもこんなにも早く。
神はもしかしたらそう呼ぶに値する存在はあるのかなとも思ったりするのですが、宗教は人間の発明品だと思います。
生きていくのはやっぱり大変です。何か支えが欲しいです。
人がこの世で生きていくよすがとなるもの、自分で自然に持てていればそれでもいいかもしれませんが、一から作り上げる場合はしんどいですし、強度が足りなかったりしますからね。
既存のもので自分にしっくりくるものがあれば、言葉は悪いですが「利用」させてもらうのもありだと思います。
「いいとこどり」も大いに結構ではないかと思います。
学校のご縁で文学に出会ったり、人とのご縁で生きる上での考え方を知ったり。いいですね。素敵です。
この文を書いたのは例の銃撃事件がきっかけですが、やはり新興宗教は名ばかりの宗教で、実態はただの集金集団だなあと思ったからです。人の弱みに付け込んで、お金を強奪していくだけの集団ですね。
ただ、こうした集団からすら、「救い」を受け取れるような強者も、いるっちゃいるんでしょうけど。
普通の人は、距離を置いた方がいいと思っています。
もし救いを求めるのなら、伝統宗教の方が良いでしょうね。
お返事をいただいたあなたの通われた高校の母体のような。
むやみとお金をはじめとする搾取をせず、歴史という水に磨かれて、それなりのバランスを保持していますから。
宗教無しでも自然にお互いを思いやれたり、助け合ったりできる世界があったなら、それこそが本当の「楽園」かもしれませんね。想像上のものだけでかなり来るものがありますが、もし実現したら、どんなにか。
いや、過去のいつか、もしかしたらまさに今現在、どこかで存在しているのかもしれませんね。
これは私の勝手な考えなんですが、人が心から願ったことって、必ず実現すると思っているんです。
今まできっと、無数の人が、思いやりに満ちた世界を願ってきたんじゃないかと思うのです。
だから局所的・刹那的にはきっと、思いやりが形をとって、美しい現実となって存在したんじゃないかと思います。
だからいつかは、きっとこの世界は、思いやりに満ちた、自然とお互い助け合える世界になるんだと思っています。
仰る通り、宗教は毒にも薬にもなりますよね。
そのことをしっかり意識しつつ、自らを
「思いやり合える、助け合える存在」たろうとする
あなたを、応援します。
私は、ひっそり練習します。
すみません、お返事のつもりが何か暴走している。
のでこの辺にします。
すっごく長い本文に目を通してくださり、お返事までありがとうございました。
やさしいあなたにさいわいあれ。
ななしさん
宗教についての考えを書いてくださり、ありがとうございます。
切っても切れないようなところかなと思います、宗教って。
私も心が弱いので、家族の宗教には入るな、という言葉がなかったら、入っていました…。
それでも、宗教の教えの良いところは取り入れたいとは個人的に思っています。
私は高校はキリスト教系の学校に通っていました。
そして、宗教に入っている方との付き合いもあります。
高校は、宗教の催しを除けば普通の高校ではありました。
ですが、そこだからこそ出会えたキリシタンの作家の遠藤周作氏の歴史小説に触れ、人生に影響されて歴史が好きになりました。ここに来たからこそ得られたものがありました。
宗教に入っている方については、人生を前向きに捉える考え方を教えていただきました。過ちは繰り返さないことが出来る、どん底でも、失敗したとしても(反省した上で)、立ち直ることが出来る、と。
宗教を入ってなくても、信じてなくても、幸せな人はいます。心の強い人はいます。人生を楽しんでいる人はいます。
その人らは、意識してかしてないか知らずに大事なものを抑えた上で、そういう立場の人達になったんだろうと思います。その人たちの居場所はほとんど、助け合い出来る環境にいるんですよね。
私も私で、強くそうなりたい。でも、まるまるその強い人にはなれない。
宗教のカルト的なところは怖いけれど、依存しすぎず良き教えは取り入れられたら、と思っています。
宗教は、助けになる人もいれば、毒になる人もいますね…。
宗教の外で、思いやり合える、助け合える存在に自らなることも、大切なのではと思ったりします。
なかなかむずかしいかもしれない話ですが。
上手く言えなくてごめんなさい。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
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