誰かの顔色を伺って、
何をするにもいつも遠慮して、
自分のことなんて気にせずに、
誰かの幸せを願っている。
貴方はもしかしてそんな人じゃないかな。
誰かの笑顔を見るために努力して、
誰かの幸せのために自己を犠牲にして、
誰かの涙を流さないように笑い続けて、
誰かの怒りに対して自分に責任を押し付ける。
そうして貴方は段々心を病んでいったよね。
ある日気がつくんだ。
なんで自分はこんなことをしているんだろうって。
何のために頑張ってきたんだろう、って。
そして突然何も出来なくなる。
自分のことについても、全くわからなくなる。
分かるわけないよね。
自分のことなんてずっと後回しだったんだから。
でもね、それは悪いことじゃないんだよ。
他人を気遣って、優しくして、時には犠牲になって、
誰かのために生きようとする貴方はとても素晴らしい。
だけどね、自分の事聞かれたらどう思う?
「貴方はどんな人ですか?」って聞かれて、
貴方はなんて答えるかな。
もしかしたら答えられないかもしれないね。
でもそれはね、おかしいことじゃないよ。
貴方にとっては当たり前のことなんだよ。
私もそうだった。
幼い頃から、親や先生、友人の態度のほんの違いに、
言い方の違いに、表情の違いに敏感で、
怒られることを心から恐れていた。
私の生まれ育った環境はいつも怒号が飛び交う場所で、
そんな中私は「私だけでもしっかりしよう」と、
1人っきり、誰にも理解されない努力をしていた。
テストでいい点数を取るのは先生と親のため。
おもちゃを快く貸してあげるのは友達が喜ぶため。
良い学校に入るのは先生と親と学歴社会のため。
誘われても断るのは自分がいることで空気が気まずくなるのを避けるため。
とにかく人のため、他者のため、常に気を遣い続けて、
顔色を伺って、生きてきたんだ。
そうしたら、ある時プツンと心の糸が切れて、
「何やってたんだっけ」って無気力になって、
学校にも行けなくなった。
心療内科にもかかって、今でも何錠も薬を飲んでる。
親や医者とは何度も話し合った。
だけど話は噛み合わない。当然なんだ。
他人は「私」が主張してると思ってる。
でも私は「他人のために」主張してる。
論点がズレてるんだから話なんでまとまらない。
そんなことを半年以上、何十回と繰り返した。
きっと貴方や私のような人間を理解出来る人は、
この世の中でほとんど居ないだろう。
この世の中の多くの人間は、自分のために
人生を生きているから。だから分からないんだ。
「他人のために人生を捧げてきた」私たちのことが。
だけど大丈夫だよ。私は貴方の気持ちがわかるよ。
きっとこの文章を読んで、共感したという貴方は、
私と同じように生きてきた人。私の仲間。
声も、姿も、居場所も分からないけれど、
貴方の心と私の心は繋がっているよ。
辛かったよね。自分を押し殺したことが、一体
何度あったことか。
苦しかったよね。他人の言いなりになって、
まるで奴隷のように頭を下げて。
でも、もうそんなことしなくていいよ。
私は「貴方」の声が聞きたい。
貴方がどう思っているのか、それを聞きたい。
初めは答えられなくても大丈夫。だけど、例えば、
食事に行く時「何食べたい?」の問いに、
「カレーライスが食べたい」って言えるような、
そんな声が聞きたいんだ。
それが貴方の本当の声だよ。貴方が心の底から思う、
本物の声なんだよ。
自分の気持ち。自分で思ったこと。自分で考えたこと。
それは何にも替えられない宝物だよ。
だから、怖がらずに言ってみようよ。
「私は、皆と一緒に生きたい」って。
大丈夫。私はそばにいるからね。
頑張ってきた貴方に感謝。そして、幸福あれ。