何かになりたかった。
他人より秀でたものは何もなかった。
大規模じゃない、小さなコミュニティでもそうだった。何かしらの特技や長所を持ったその人たちの中で「きっと本気になって取り組めば、自分も何かで一番になれる」そう思っていた。自分が欲しいような、惹かれる何かを作ることができると思っていた。
そんな日は来ない。
「本気になって取り組む」「努力する」そもそもこれらが自分にはできなかった。
どれだけ状況が逼迫しようとも、体も心も頑張ろうとは全くしなかった。取り組む先にある小さな不快感を避けるためだけに、脳と体のエネルギーは使われていた。
何かひとつくらい、このために生まれてきたと言っても過言ではないような才能があると、苦しまずに「楽しい」だけの気持ちで走れるような何かがあるのではないかと夢を見続けてきた。幻想だった。
部屋には様々なジャンルの入門書が埃を被っている。身に付いたものは何もない。
インターネットやSNSでは、輝かしい人々が笑顔で生きている。そんな人を見る度、みじめで醜く、どうしようもない自分が嫌になる。ポップでかわいい曲のアレンジを聴きながら、どうして自分はこうあれなかったのか泣いた。
ずっと楽しい人もいれば、大半は裏で苦しみながら生きている人もいるだろう。しかし共通することは、どちらも努力していることだ。もしかしたら中には努力せず楽しんでいる天才もいるかもしれないが。
「輝く」それができない自分にとって、彼らは人間であり、自分は人間になれなかった泥が無理矢理形を保っているかのように感じている。
勉強し始めた占星術は思った以上に自分のことを言い当てていく。
自分主体の考え方、否定する人間、飽きやすくなにも続かない、向いていることは初動だけ。続かない人間の長所としては最悪で笑ってしまった。
こんなにも分かりやすく未来のないもの、それが自分だった。
これまでもこれからも、もう変わることはないだろう。辛い苦しいとほざきながら、ゲームに手を伸ばしては感情と状況から逃げようとする。
ここまで救いようのない人間なのだから、すべての人に見捨てられてしまいたい。そうしたらもうこの世界に残る理由もなくなる。
そう思う反面、ほんとうに少しの、まだ自分を大切だと思ってくれる人がいるから、ここに留まれているし救われている部分がある。
どちらが幸せなのだろうか。
少しずつ、ゆったりと終わりは近づいてくる。
それでも、終わりに対して何も動けないでいる。
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ななしさん
人と比べずに好きな事をひと通りしてみよう。
なんかさ、結局ねどうやったって世界を広く見たらさ上には上が居て、多分人と比較しながら生きている人はそれに捉われて拘って上手くいくことも上手くいかなくなると思うんだよね。
負けず嫌い とか、上昇志向は自分を高める為には必要なのかもしれないけどさ、そこだけしか見ない人は、そこに足元取られちゃうんだよ。
それこそ能天気に過ごした方が全然気楽だし、楽しいよ。
やる気になれば時間かかっても軌道に乗れるから、焦らないで過ごした方がきっと良い。
ななしさん
自分の事かと思いました。
何者にもなれないまま…それどころか普通の人にさえなれないまま、年ばかりとってしまいました。
どうせ生きづらいなら、どうせ孤独なら、どうせ悩むなら、せめて天才に生まれていれば苦しみ甲斐もあったのに…と夢想するしか能がない駄目人間です。
多くの人が生まれた時から出来ている事を、10年かけてやっと身につける体たらく。
いくら努力しても、自分は同世代の最低ラインにすら立てない。自分の無能さが、ただ虚しいばかりです。
そんな社会的に需要のない不用品とも云える私ですが、親を見送るまでは…と思いながら今日まで生きてきました。
晩婚の両親がやっと授かった子が私だったと言われたら、これ以上の親不孝は出来ません。
「自分を大切だと思ってくれる人」が一人でもいるうちは、生きてみるのも悪くないと思います。
人生は不平等でありながら、その終わりの時だけは平等にやって来るのですから。
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