なんか虚しいな。仕事やプライベートでそう感じたことは、結局私の独り善がりだったのだと知る。どうして頑張ったりしたのだろう。寂しかったのかも知れない。ただ単純に喜ばせてあげたかっただけだったのに。相手にはいらないものだったのかも知れない。それは相手の自由とわかっているけれど、私の気持ちや心は拾い上げてはもらえなかった。それがモヤモヤするのはやっぱり押し付けや独り善がり、なにか見返りが欲しかったんだね。でも喜ぶ顔がみたくて何かする事も見返りを求めているのだとしたら、全て独り善がりに分類されるのだとしたら、だとしたらこの先誰かに親切にしようなんて馬鹿げてるってこと?
それを寂しく思うのも間違っているの?
虚しい。がっかりした。もうやるまいと思った。それが素直な気持ち。でもそういう自分は何か嫌だな。こうして人と関わることが面倒なものになっていく。相手も面倒だと思っているのかな。そう考えてしまうと、もうやるまいという答えにまた辿り着く。動植物は素直でいいな。私は馬鹿馬鹿しい面倒な生き物だ。本当に優しいってどういうことなのか、いくら生きていてもわからない。
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ななしさん
親切心からやった行動が逆効果だったことなんてたくさんあります。親切心は馬鹿げているかもしれません。ですが無駄じゃない。寂しく思うのはおかしくない。なので自分を馬鹿馬鹿しいなんて言わないで下さい。
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