子供の頃、毎晩不安になった。眠っていたのを起こされる程の怒鳴り声。
父だとわかる。母の泣き声。鈍い音。
怖くて布団から出られなかった。止めに行けない私をなじる兄。響く絶叫。
翌朝、母だけしかいない食卓で朝食を取る私。言葉はなく、落ち着かずおずおずと座る私。
朝日を背にして振り返って目玉焼きを皿に移した母の顔の青アザ。
何十年経っても、思い出す。もう父も母もこの世にはいないのに、繰り返し思い出す。
不安な夜はずっと続いた。中学、高校でも。一度は目の前にいたのに、まるで私がいないかのよう。
友達はつくれなかった。いや、つくらなかったのだろう。心のどこかで、自分はマトモに育ってないと感じてたのか?一人になる方が気が楽だった。
不安な夜は繰り返された。ついには吐血。1月くらい寝込んだ。
しばらく静かになったが、その後も不安な夜は続いた。
大人になっても変わらなかった。
しかし、ある日母に殴りかかる父を押し倒して思いっ切りぶん殴った。
父は警察を呼び、私はパトカーの中で少し警官と話した。警官は帰って行った。
こんな家から逃げたかった。兄は全てを投げだし外国へ行ってしまった。
父の葬儀にも、母の葬儀にも兄は姿を見せなかった。
時々来る手紙に返事をする気にはなれない。
人と深く付き合うのは出来ない。人は皆身勝手だ。
どう考えても自分はマトモに育っていなかったと思う。
人は人、自分は自分で割りきれるのか?何で自分が...
自分も自己中心。ワガママなのだろう。
人と深く付き合わ無いのは付き合うよりマシだと何処かで思っているのだろう。
家族がいても、心の内を見せるのは難しい。
自分は何時でも何処でも何でも不安なのだ。
寂しい思いが無いわけではない。しかし、それもワガママというもの。
自分の人生に何の意味があるのか?
わからない。意味なんて考えても答は無い。
惨めな自分を受け入れて生きるのか、終わりにするのか。
心のどこかで無かった事に出来れば安心する自分がいる