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私がわからない。私は小さい時から母から暴力を受けていました。母は自分の手が痛いからと、私たち兄弟は百均のプラスチックでできた靴べらで殴られていました

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小瓶を拾ってくれて、ありがとう。

私は《父、母、弟》のいる、中3女子です。

私は小さい時から母から暴力を受けていました。

といっても、普段は普通に接してくれて、
ムカついたから殴るとかは無いし、私の幸せを願っていないわけでも無いと思います。

事実、私の服はブルーレーベルやバーバリーなどいいものばかりだし、
欲しいといったものは買ってくれる。
有名私立にも通わせてもらっています。

だけど、私が言われたことをうまくやれなかったり、自分の意見を言ったりして、
母がイラつくことをするとすぐに手を出してきます。

いつから殴られていたかは分かりませんが、小1の時、すでに殴られていた記憶があります。
それから、歳を追うごとに暴力はどんどんひどくなっていきました。

初めは、私が悪いことをすると
母は、会社から帰ってきた父にお尻ぺんぺんする様に頼み、私は年齢分叩かれていました。

他の家ではどうか分かりませんが、
私のなかではこれくらいは暴力に入らないし、全然大丈夫でした。
(ものすごく痛かったけど。)

それから、仕事が忙しくなり、だんだん父の帰りが遅くなり始めました。
すると、私は我が家の倉庫に閉じ込められるようになりました。

真っ暗で、身動きも取れないくらい狭いスペースしかなくて。

本当に怖かった。中から開けられない扉で、ずっと
『 出して!! ごめんなさい! 』と泣き叫びながら扉をたたいていました。
一晩そこで明かすこともあって、掃除機を枕にして寝ていました。

おばぁちゃんも一緒に住んでいて、
仕事から帰ってきたおばぁちゃんに助けを求めても、
『 また閉じ込められてんの。(笑)』と、冷たく言われるだけでした。

この頃は絶食もよくあって、
『今日お前絶食な。倉庫行け。』の一言がどれだけ怖かったか。


この頃(私:小2〜4、弟:4〜6才)から、私と弟は殴られ始めていました。

この時はお互いに協力して、
片方が絶食になった日はもう片方がこっそりきゅうりなどを部屋に持っていくなどしたり、
2人でどうしたら母に殴られなくて済むか真剣に話し合ったりしていました。

私たちを殴るようになって1年が経った頃、
母は自分の手が痛いからと
私たち兄弟は百均のプラスチックでできた靴べらで殴られていました。

あの靴べらの痛いこととといったら。
プラスチックだからよくしなってムチのようにいたいんです。

身体中に見るも無惨な青あざができて。


思えば、このあたりから母は狂ってしまったんだと思います。

ある日、買い物から帰ってくると、母は嬉しそうに私に袋を広げて見せました。
なんだろうといぶかりながらも、覗きにいきました。
嬉しそうな母とは対照的に、袋の中身をみた私の顔は真っ青だったと思います。

その袋には大量の靴べらが入っていました。

派手な水色の靴べらが目に眩しく、泣きそうになりました。
母は言いました。
『これで力いっぱいお前たちを殴って割れちゃっても新しい替えがあるから遠慮なく殴れる♪』

その顔は、もはや見知った母の顔ではなく、悪魔の顔でした。
絶望しながら、『トイレ』と、トイレに逃げ込みました。

その日の晩、
弟と相談した私は、リビングへ行って、新しい靴べらを一本一本折りました。

次の日、学校から帰ってきた時の母の顔を見て、私は悟りました。
弟はボコボコにされた後でした。

折れて尖った靴べらで息継ぎもできないほど殴られ、
髪の毛を引っ張られて家中引き摺り回されました。

これ以上は思い出したくありません。


ある日、当時の担任の先生が私のあざを見つけました。
あざがなぜできたのか尋ねられた私は、思わず殴られていることを言おうとしました。

でも、言いませんでした。
母にまた靴べらで叩かれたくなくて。

無理に笑顔を作って
『弟と喧嘩してやられて〜んwあほやろ〜?』と笑いに持っていった時、担任は気づかなかったのかな。

以前、友達数人と親との喧嘩について話していた時に、
私はショックを受けました。
みんな親からなぐられるはおろか、叩かれたこともないというのです。

私がありのままを話すと、今度はみんながショックを受ける番でした。

そのことを母に話すと、
『うちのことをよそに話したのかァァァ!!!!!』と、めちゃめちゃに殴られました。

だから、担任には恐ろしくて言えなかったのです。


また、冬の寒い日に家の外に泣きながら立たされていると、
家の前のマンションに住んでいる老夫婦が私に
『大丈夫?』と声をかけくださり、私は、大丈夫です。と答えましたが、
私の状況を見て、危険だと感じた老夫婦は通報してくださいました。

すぐに警察が家に来て、私は簡単にあざがないか、体をチェックされました。
いつもは絶対一つはあるのに、その日はひとつもありませんでした。
泣きそうになりながら、警察が帰って行くのに、頭を下げました。

結局、母には注意だけでした。

そしてその日の晩、私はまた絶食倉庫に閉じ込めの刑でした。

『 大袈裟に泣きやがってェェ!お前のせいで警察のお世話になってしまったやないかァァ!! 』
その言葉を倉庫で思い出しながら、通報してくださった老夫婦さえも恨みました。

その頃には言葉の暴力も受けていて、
精神的にも本当に辛かった。

お前なんか産まなきゃよかった。死ねばいいいのに。
前のマンションから飛び降りてこいよ。その辺でゴミ箱でも漁っていきていけよ。
お前を産んだことが私の人生で一番失敗したこと。

こんな言葉を毎日のように浴びせられて、
まだ小3だった私は
自分で首をタオルで締めたり、家の2階から飛び降りようとしたり、
母がいない時に、包丁を胸に突き立てようとしたこともあります。

弟がすんでのところで止めてくれたり、
決心できなくてしくじったりして、なかなか死ねませんでした。

死ぬことさえもまともにできない自分に、心底嫌気がさしました。
県外の橋の下に捨てられたこともあって、死に場所を求めてひたすら歩いたことも覚えています。

そんな時、好きな男の子ができました。初恋でした。

それからは殴られても蹴られてもその子のことを思って耐え続けました。

母はよく私たち兄弟にこう言いました。
『自分が私のことイラつかせてんねんから、お前に泣く資格はない。泣く資格もないのに泣くな。』

そして、泣くと余計殴られました。
『お?また泣いてんのか!?』ボゴッ。

殴られてる間も好きな子のことだけを考えて、ひたすら泣かないようにがんばりました。

すると、私が泣かないのを見て、やり足りないと感じた母はもっと暴力を振るうようになりました。 《続く》

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