私の親は馬鹿だった。
小さい頃から意味不明な苦労ばかりした。
教育方針も意味のない暴力や暴言ばかりで科学的な教育や人間性のある教育は一切してもらえず、迷信や宗教じみたなんの意味もない教えばかりだった。
それに対して理由を聞くと大抵激昂した。
これに関しては親に限らず周りの大人も同じだった。
彼らは自分がやっている事がなんなのかも分っていないとある程度歳を重ねてから理解した。
彼らが自分がやっている事を理解してもいないのに、何故その状態で子供を作り意味不明な育児を行うのか理解ができなかった。
親に何故、経済的精神的物質的にも余裕が無いのにそんな状態で自分を作ったのか聞いてもまともな返答はなかった。
何故その時に祖父母などのもっと人生経験を重ねているはずの人間達が親を止めなかったのか聞いてもまともな返答はなかった。
そこからさらに歳を重ねて……彼らが単純に馬鹿だったからだと理解した。
馬鹿な人間にどれだけ、経済的精神的物質的に余裕が無い状態で子供を作ればそれは自分にとっても子供にとっても良くない事だと説いてもそういった類の人間はそれを理解できない。
私の親がそうだったように、彼らは自分が何を理解していて何を理解していないのかをそもそも理解していない。
もっと言えば彼らは知らない事を知らない。
誰しも何かしらの分野や領域では無知の状態ではあるのだけれど、彼らは自分のその知っている領域と知らない領域の区別がついていない。
そして他者に自分のその無知の領域を知られるのを自尊心的な問題から恐れていて、故に知ったかをしたり無知な領域を知ることを避けるので永遠に有知の領域が広がらない。
だから自分が失敗する可能性が理解できない。
経済的精神的物質的に余裕が無い状態で子供を作れば失敗しやすい。
こういった言葉や概念は、一番それに当てはまる人達には絶対に届かないジレンマをはらんでいる。
一番この言葉が届かないといけない人達にほどこの言葉は届かない。
そして今までそうだったようにこれからもそういう人達が人間という種を無意味に繋げていく。
そこから生まれる問題や苦痛などには一切の責任を負わず。