強烈にまたは静かな波のように襲ってくる「死にたい」という感情に抗うのはもう疲れた。
これだけ毎日苦しみながら死なないでいても、自分は生きる価値のないだという事を再認識しただけ…。
もう2ヶ月近く誰とも会っていないし、会話さえしていない。
お前が生きていた頃は、毎日夜遅くまで他愛もない話題で笑いあっていたのにな…。
でも仕方ががない。もはやこの世のすべての物事や人間に興味はないから。
自分がいなくなっても誰も何の影響も受けないのは却って気楽ななことでもある。
才能のある著名人が潔く自分の命を断てるのが本当に羨ましい。
何の取り柄もない屑人間はそんな事さえ出来ないんだな…。
今は只々もっと早くに消えておくべきだった後悔の念に苛まされている。
生きる価値は絶対あります。
誰とも話してなくても、価値はあります。
価値がないから死にたいのではなくて、目的を見失ってしまったから死ぬしかないという気持ちになってるのではないでしょうか?
お前が生きていた頃は…と仰ってるので、自分に生きる価値がないというよりは、こんな状況では生きる価値がないと思わざるを得ないのですね。
今はまず、価値がなくても生きてていい、目的がなくても生きてていいと、自分に許可を与えてみてくれませんか?
それから、小瓶を流す勇気を持てたのですから、またもう少し勇気を出して、生きる価値や目的を探しに少しずつ動いてみませんか?
どんなに苦しんでも、あの時死ななくてよかったと思う日が来ると、私は信じています。