「苦しいこと」と言ったって、別に、傍から見たら苦しくもなんともないかもしれないし、「そんなのよくあることだから、そんな考えは甘えだ」って、思うかもしれないけど。
願うなら、円満な家族の元に生まれたかったなって。
そんなの、贅沢だってわかってるけど。
だって、お父さんもお母さんも、お互いうんざりしてる。指輪はいつの間にか外してるし、寝室には2つベッドがあるのにお父さんはテレビつけっぱなしでいつもソファで寝てるし。もう何年も前に私がいる前で吐いた愚痴も、私、二度と忘れないと思う。2人は忘れてるのかもしれないけど。
それなら、結婚しなきゃ良かったのにね。
結婚しなきゃ、私だって産まれてなかったよ。
なんで結婚したのさ。
そんで、不穏な空気出しておいて、機嫌が良い時は、2人で楽しそうにお話してるもんだから、逆に気味が悪い。本心はどっちなの?
親に違和感を感じてから、何年も経って、私が生きてるってことに、気持ち悪さを感じるようになった。
愛の結晶なんかじゃない。後悔の塊。産まれてしまった。呼吸をしてる。心臓が動いてる。人間という生き物として、生きている。
どうして2人は私のことを愛せるんだろう。
愛されてるだけマシなのかな。愛されない方が、恩を返さずに思い切り恨むことが出来て、羨ましいなとか、思わない方が良いか。
気軽に、苦痛もなく、誰にも迷惑をかけず、不利益も無く死ねるんだとしたら、今頃私はこの世にはいないかもしれない。
死ぬにはそれなりの不利益が伴う。家族や私を知る人に莫大なストレスを与えるし、葬儀代もかかる。多分色んな手続きが必要だし、自分の物を整理させるのも申し訳ない。まぁ色々大問題になる。
そんなことをよくも軽々しく考えるなと、自分でも気味悪く思う。今自分は、とんでもない事を考えている。
そんなこんなで私が死ぬ事で生まれる利益と不利益を考えたら、圧倒的に不利益が勝つわけで。
だから、死なない。不利益が生まれるような死に方はしたくない。というか、不利益を出さずに自ら命を絶つのは不可能だと思う。
親の仲ごときで私が死にたいと思う必要はない、のはわかってる。けど。残念ながらもう何年も何年も思ってしまっているのが事実であって。多分私はそういう人間になってしまったから、申し訳ないけれどこれはこの先も続くと思われる。
いっそのこと、なんか偶然、痛みもなく倒れてそのまま死んだりしないかなとか。もしくは、寝て起きたら私が存在しなかったことになってないかなとか。でもお絵描きは楽しいからやっぱりまだ生きていたいなとか。矛盾したことばっかりだけど。
たまにこうして病んだりして、寝て起きたら病んでたことが嘘みたいに元気になって、また不機嫌な親を見て病んでを繰り返して、今日も生きてしまう。