わたしの中の真実。
たくさんの真実があることが
ひとつの真実。
答えが1つでなくてはいけないものもあるだろう。でも、そうでないものもあると思う。
矛盾という言葉がある以上、矛盾だって必要だと考えた。
生まれたからには意味がある。価値がある。いらないものは生まれない。いらなくなったらいつの間にか消えてゆく。
忘れ去られた存在もあるのだろう。もしかしたらあったかもしれない存在。
歴史も辿れない、どうやっても確かめられない存在。
私はいつ消えるだろうか?
ここに残る文章は、私がいたという存在証明。
死ねば意識が無くなることを望む私は、死後のことはどうでもいい(というより“意識が無い自分”を考えるのはおかしいと思ってる)ので、他人の中で息づく私という存在もどうでもいいが、せっかく生まれたんだ。他人を苦しめることになったとしても、残すよ。
「わたしという存在がここにいました」って。
残そうとしなくても、きっとしばらくは残るだろうし。人との関わりが少ない私だが、それでも関わってはきてる。誰かが残している卒業アルバムに、私の姿と名前があるだろう。役所に私の情報があるだろう。どっかにはなにかしら残ってしまうなら、もういっそのこと残してやろうかと思ったんだ。
いつか死ぬんだ。嬉しいことに、それは避けられない。だからそれまでに、できることはやっておこう。
たぶん、わたしはサイテーだから、
たくさんの人に迷惑をかけて、たくさんの人を傷つけて困らせて苦しめてしまう。だから本当はね、早く死んだ方がいいんだけどね。ごめんなさい。死ねないから、サイテーだけど、できることだけさせてください。
なんて、ここに書いてもしょうがないかな?
まあ、いいや。
いつも書きたいこと書いてるし。
ありがとうございます。
こんな小瓶読ませてすみません。
失礼しました。