初小瓶です。
家族や職場の人、私の周囲には「できない」と一言言えばそれで全てを終わりにする人が一定数います。
彼らは自らのキャパがわかっていて、それを超えることを「できません」と申告することになんの疑問も感じないようです。
私自身もできないことだらけですが自分が「できない」と言うと困る人の顔を思い浮かべたり、後始末のめんどくささを考えると「やらないとしかたない」と思う方で
自然と「しっかり者」「優しい人」とラベリングされてしまい「できないと言う人達」のフォローをする立場にまわっていることが多々あります。
でも最近気づいてしまったのが、全て「想像力」に起因することなのだと。
私は戦争中の国の子供達の気持ちがわかってあげられない。どんなに想像したところで、ふんわりした想像しかできない。
同じレベルで、「できない」と言う人達は、やらなきゃいけないことを「できない」と放棄したら
他の誰かがそれをしなければならないこと
その人にも仕事や生活があること
それでも、それをやるために時間やお金をやりくりすること
それによって疲弊すること
が、認識することができないかつ想像もできないのでしょう。
特に優しい人に囲まれて育ってきた人達は、できないと言えば周りの人が代わりにやってきてくれたから、困難とは放っておけば解決しているものだよとよく言います。
私は心の中で(この人は幸せな人だなあ)と呟きます。
しかしそれは経験値とか環境要因とか地頭によるものだから、想像力がないことはその人の悪でもなんでもないことなのだと。
つまり、私が自分も「できない」と言う側に回らなければ、ずっと私は押しつけられる側で
でも私は「できない」と言う人達の残酷さを骨身に染みてわかっているから、それだけは「できない」のです。なので、ずっと同じ役回りにしかなれないのだろうなと。
生まれ変わったら、想像力のない人間になってみたいなあと、憤慨するのに疲れて麻痺した私は思うのでした。
文字にすると、少しスッキリしますね。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
過去の私は小瓶主さんと同じでした。
そして小瓶主さんの言うとおりずっと同じ役回りでした。
出来ないって言う人は本当に残酷だと思っていました。
でもここ最近は罪悪感につぶされてしまいそうになりながらできないを言うことや、お断りにトライしました。
少しづつできないを言えるようになってきました。
小瓶主さんも、大切にされるべき人間なんです。
なんとかしなくてもいいんだと私は思います。
頑張りすぎなくていいと思います。
小瓶主さんが頑張れば頑張るほど自分を追い込んでしまって自分をいつ、誰がいたわってあげるのだろうかと心配になります。
私もこれに気がついたのです。
だから人の犠牲になることをやめました。
いい人のレッテルなんて破り捨ててやりました。
ずっと、生まれ育った家庭でも職場でも自分でつくった家庭でも我慢してやりたくないことをやり、自分を犠牲にしてきました。
でもすべてやめました。
小瓶主さんも生まれ変わったらではなく今から挑戦してみませんか?
小瓶主さんが大切な自分を大切にすることで、文句を言われても、嫌われてもいいんです。
どうせ麻痺してしまったのなら麻痺しているうちに一歩踏み出してみませんか!
私のように。
ななしさん
私も「都合の良い人」にはなりたくないなぁ
ななしさん
そうですね。
ただそこから更に一周して、それでも何とかしないとと思って頑張る人が潰れていく仕組みを俯瞰すると、「できない」と言うことの大切さもあると思うようになりました。
限界って人それぞれだから。潰れない努力というのも大事だなと。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください