「死にたい」と「消えたい」について
死にたいじゃなくて消えたいっていうひとがいる
これはあくまで私の偏見なんだけど、死にたいと消えたいがイコールでないなら、死にたいひとはいなくなると思う
確かに私は「死」を見てるし、死にたいって言うけど、「消える」という事象がきちんと証明されていない以上生か死かの二元論になってしまうからで、そこに死と消滅の区別をしているわけではない
私が「死にたい」を使う理由は口あたりの良さだったり理解のしやすさだったり「消える」より現実味があったりするからで、痛いのは嫌だから叶うならば消えるほうが楽だとは思う
……過去に行ってやり直せたら、何とかして自分が生まれるという事象を剪定したい(パラドックスは考えない、無事剪定できたら私は消滅する)
だからどうか、あまり死にたいと消えたいを区別しないで欲しいと思う
どうか、死にたいと言ってるひとたちとは違うと強調しないで欲しいと思う
消えたいというあなたと、死にたいという私はきっと、同じような色を抱えているから