大企業勤務。パワハラはなく、職場にこれといった大きな不満はない。
恵まれているのは分かっている。でも、この先の社会や人生に不安は拭えない。
極貧家庭出身で、親から虐待も受けた。家庭内でいじめられ、学校でもいじめられ、小さい頃から一切の心理的サポートをしてもらえなかった。人間関係がうまく作れなかった。
中高と半ば不登校で問題児ではあったが、必死の努力の末、大学は旧帝に受かった。半分くらい家を捨てるという形で上京したので、生活費は給付型や無利子の奨学金を勝ち取り、それでほぼ全額を賄った。
学生生活では人が人と認め合うという関係が分からず、友人を作ることができなかった。周りの学生との経済格差も辛かった。こちらの側にも原因はあったのだが、研究室では悪質ないじめに遭い、最初の研究室では一切の指導をまともにして貰えなかった。逃げ出すような形で移った研究室でも直の指導教員にパワハラを受け続けた。その状況で精神を病みつつも必死に実験を重ね、学内賞を貰ったデータも、卒業後未だに論文投稿の連絡が来ない。学内では悪評が立っていた先生だったので、要するにそういうことなのだろうと思っている。
今の環境に移るまで十何年も地獄にいた。毎日のように自殺という単語が頭を過ぎっていた。それ故に、奇跡的に「格差」を乗り越えて恵まれた今の立場に立てても、その壁の向こうには地獄のような景色が広がっているんだという考えが頭の中から抜けない。
社会について知れば知るほど、この先の人生に不安が広がる。なぜ同じ職場で働いている同い年の派遣のあの人は派遣元からのピンハネを許されているのだろうか?実家からの仕送りなしで暮らせているのだろうか?究極的に言えば僕らの給料はこの人達から奪ったものではないだろうか?なぜ僕ら世代の年金は株式市場に投入されているのだろうか?黒字運営だとはいうが、利益確定できるのだろうか?
経済的な関所を越えた今でも、二十年以上壁の向こう側にいた僕はこの世には地獄があるんだという恐怖を忘れられないでいる。そして未だに友人と思える人はいない。愛された経験がないからなのか、差し伸べられた手を反射的に拒んでしまう。仕事上の関係は穏やかに保てるが、プライベートに踏み込まれると過去の積み重ねを否定されるのが嫌で、さっと身を引いてしまう。
精神的にも肉体的にも限界だったところを会社には拾ってもらって感謝している。毎日優しく接していただいている。それ故にこのような状態で人間関係に踏み出せずにいるのが大変申し訳なく思っている。問題が起こるのが嫌で、人と私的に関われない。幸せを分かち合えない分、客観的な仕事量で恩に報いているつもりではある。
でも、本音を言えば、誰かに助けてほしい。これまでの人生とこれからの人生に対する不安を少しでいいから理解してほしいし、忘れさせてほしい。幸せとは何か教えてほしい。でもどうすればいいかわからない。
誰か、助けてほしい。