バチが当たったのだろう。
全てを中途半端にこなしてきたバチが。
小さい頃はあった筈の夢が気付けばなくなり、やりたい事が解らなくなった。それでも進路を決めろと急かされ決めたのはそうせざるを得なかったからだ。
自分の選択は自分の選択だから後悔はしていない。どんな選択肢を選んだところで何かしらは必ず後悔するのだから。
しかし分からない。今好きなモノも「それは本当に好きなモノか」と自問自答すると、自分の好きなモノから外れてしまう気がする。それは純粋に好きでは無いからだろうか?
義務で好きなのかもしれない。勿体無いから好きなのかもしれない。好きだと言い聞かせているから好きなのかもしれない。これを好きでなくなると、自分の中の何かが無くなるのが怖くて好きなのかもしれない。
私は本当にこれが好きなんだろうか?
純粋に好きなモノを好きだと言える人は眩しい。
終わりが見えたその瞬間に、それに寄りかかれなくなる私は、きっと純粋にそれを好きではないのだろう。
現実逃避したいのに、遠くに現実が見えるから、のめり込めず、沖にいる人を見ながら浅瀬にいる。
中途半端なのだ。好きなモノも人生も。
だから今日も惰性で生きて、不平不満しか口にせず、自分のせいで息苦しくなっているんだろうね。