募金って実は上から目線なんじゃないか。
そんなことを考えるようになってしまった。
もちろん、自分のお金を募金して、誰かを助けるのは素晴らしいこと。
災害が起きた時も、例えば芸能人は、何千万という大金を寄付していた。これによって助けられた被災者は大勢いたと思う。
困っている人からすれば、これは本当にありがたいこと。涙が出るほど嬉しいこと。
でも。
他にも募金を待ち望んでいる人は山ほどいる。
もし、その何千万というお金を別の誰かに寄付していたら、その別の誰かが助かっていたはず。
それは、心臓移植手術を待っている子どもかもしれない。
経営難で潰れそうな動物園かもしれない。
動物を保護する動物愛護団体かもしれない。
困っている人たちがたくさんいるのに、自分が募金する相手を選んで良いのだろうか。
それはある意味、傲慢なんじゃないか。
募金先を選べるほど、自分は偉い存在なのだろうか。
命は皆、平等。
あの人の方が辛そうだ。この人は後回しで良さそうだ。
そんな風に、辛さの基準を他人が勝手に決めるのも違うと思う。
世の中には募金先がたくさんある。
そのうち、街角で募金を求められる日が来るかもしれない。
これから募金する時は、どんな気持ちでやれば良いのだろうか。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
お金だから分かりにくいんじゃないかな?
募金って、まあ、分かりやすく言えば、お腹すいてる子に、自分のおにぎりを分けるようなものですよね。
自分の食費分から差し引いて募金をするわけです。
たとえば、半月分の食費代を募金するとして、あなたは半月分を我慢することになります。
困っている人のうち、あなたが我慢してでも使って欲しいなと思える先を選ぶのは、別に傲慢でも偉そうでもないと思いませんか?
募金って、「してあげる」ものではなくて、「なにかにしてもらう」ものだと思います。
このお金を食べ物にして届けて下さい。
困っているひとの役に立つ物にして届けてください。
あなたのお金を物資にして現地まで届けてもらうという「お願いします」という行為だと思うんです。
届けてもらいたい先が明確なら、選んで募金箱にいれる方が、親切ではないでしょうか。
なので、選ぶこと自体は、身を削ったお金として当然生まれる権利でもありますし、明確にすることは親切でもあります。
大金持ちでも全ての人を救うことはできません。
なら、せめて、困っている人たちを知り、わたしにはなにができるかな?この人たちの為なら、すこしお小遣い我慢できそう。この人を応援したい。というあなたの気持ちを明確にして選んだ方が、良くないですか?
それに、その方が受け取った側も、嬉しいのではないでしょうか。
選ぶ余地なく募金を目にしても、あまり心を動かされなかったり、お金の余裕がなければしなくてもよいと思います。
届けたいという気持ち、それだけに従えばよいものだと思います。
なぜかとても長文になり、すみません。
書きながら私も勉強になりました。
ありがとう。
ななしさん
倫理的な問いですね。
欧米に根強いですが、ノブレス・オブ・リージュって感覚から、寄付や献金に結び付くこともあります。
それが上から目線になるのかどうか考えても面白そうです。
個人的には、私もあなたも等しく尊いなら、私が何処に献金したいと望むかは自由だと考えます。
募金の本質は相互扶助って考え方もありだと思います。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください